2014/12/17

鱈レバ歴バナ

【i国you國・うよ極説wあり】

長文につき閲覧注意w。ヒマな時にどうぞ。

先日の衆議院選挙、オレ支持の次世代の党は壊滅的な大敗を喫し、

逆にオレ不支持の諸党中、最左翼の共産党が大躍進

というナンジャコリャな結果をみて、もう笑うしかなかったよw。

京都では比例の次世代票1500票が共産票として

集計されてたことが発覚。さらに山梨では期日前投票の比例の用紙に

前回選挙のものが使われ、選択肢の中に次世代の名が

書いてなかったことが発覚。しかし期日前投票のやり直しは

不可とのこと。両事件ともに被害者は次世代の党。

これでは他にも未発覚な次世代潰しの陰湿な操作が各地で

あっただろうと考えるのが自然。

今年の夏、山田宏・杉田水脈両衆議員ら次世代の党が

国会でがんばってくれたおかげで、ついに朝日新聞が

「日本軍による朝鮮婦女子への慰安婦強制」はウソだったことを

やっと認めたのにな。だからこそ出る杭は打たれるのか、

真実を語りすぎて正論を述べすぎる次世代の党は

どうやら、反日親韓勢力のみならず世界経済をウラで牛耳る在米の

某ファミリーからも目をつけられた悪寒。

その某ファミリーは次世代を潰すタイミングを周到に計り、

Goなう!と判断したときに米国政府要人を介して安倍総理に

「今すぐ解散総選挙しろ。さもなければ...」

なんて“指令”を出したってワケ。というのがオレ創作のシナリオ。

当たらずといえど遠からずな面はアリうるかもよ。

その某ファミリーにしてみれば、日本政府には常に米中両国の

顔色うかがいながらオロオロしてて欲しいのに、

親米でも親中でもなく愛日な次世代の党とかいうウザい連中が

日本の国会でデカい顔し始めたら、TPPにはちっとも参加せんわ、

原発とっとと再稼働して米国石油メジャーの売上げガタ落ちするわ、

米国製兵器購入減らして自前兵器ふやそうとするわでいいことなし。

おまけに日本軍による南京大虐殺(←米国が捏造して中共が

のっかって盛りに盛った120%デッチあげの架空事件)の真相まで

世界に拡散されかねないしなー。

結党4ヶ月でまだ知名度の低い今のうちに選挙させてとっとと

潰すっきゃねー、となったワケ。あくまでオレの考えた

フィクションだけどさ。で見事そのシナリオ通り、

解党のウワサも出るほど総選挙で大敗した次世代の党、

1ファンのオレとしては、主張・信条を共にする濃~いメンバーだけで

再編成して再スタートしてほしい。しかし「次世代」では名前が悪い。

1文字での略称だと「次」だから“次点で落選”を

イメージさせるもんなー、改名したほが良いよ。

しかしまた新しい党名つけるとまた知名度ゼロから

スタートしなきゃなんないから、ここはもう、またまた

「太陽の党」でいいじゃん。3度目の旗揚げかよ?笑えていいぞw。

今回の次世代の党の総選挙大敗は、幕末長州藩に例えたら

“禁門(蛤御門)の変”、あるいは“馬関戦争(下関事件)”のような

一時的な負けイクサ。つぎ勝てばよし。長州の逆に会津で例えるなら、

戊辰戦争の賊軍としての敗戦に耐え斗南で生き抜き、

西南戦争では官軍に志願して薩摩の賊軍を討伐し、

その後の会津の名誉回復に貢献するパターンで、最後に勝てばよし。

でもホントは勝ち負け以前に志だよね、何をなさんと欲したか。

道なかばに斃れようとも、吉田松蔭や坂本龍馬の名は残ってるもんなー。

逆に道半ばか終着点かは知らねども、近藤勇や土方歳三の名も

残ってるがな。そのまた逆に同じ新選組でも斎藤一は生き抜いて

新政府の警官となり西南戦争の官軍に参加・活躍して叙勲まで受け、

その後は女学校の守衛(なんかえーなw)などを務めて大正時代まで

長生きしたらしいぞー。生き抜くことも大事だなー。

なんか幕末維新の例ばかりだと維新の党アゲみたいなので、

戦国期に例を求めると、道なかばで斃れても名が残ってる英傑

第1位といえば惟任日向守だろ。誰それ?知らねって?

明智十兵衛光秀のことだよ。悪役として名が残ってるだとー? 

道半ばといえば光秀に討たれた主君・織田信長のほうだろだとー?

光秀は越前、近江、丹波のゆかりの地では名将/名君として

今も愛され称えられ祀られてるんだぞー、特定エリア限定だけどな。

そもそも光秀が山崎で秀吉に敗れた後の落ち武者狩りでは

死んでおらず、比叡山に逃れて僧となり後に南光坊 天海の名で

徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた説

(天海は風水を基にした江戸の街づくりや日光東照宮の建立に活躍。

日光の“明智平”は天海が命名。

東照宮のあちこちに明智の家紋“桔梗紋”がデザインされてる。)

が事実なら光秀は天寿を全うしてるから

全く道半ばなんかじゃないけどなー。

ところでオレは皇室制度支持。天皇家が続いてるイコール日本の国が

日本という名で続いてるという認識。しかし天皇陛下ご本人による

親政には反対。最初の平清盛から最後の徳川慶喜まで、

武士のトップが天皇から政治を委任されて日本を治めてきたスタイルを

オレは歴史的には大評価。今の皇室には1億2千万余の

国民を代表する一家としての諸々のご公務と、

日本の繁栄を祈る神道祭祀に今のままご専念いただきたい。

安心な生活が保障されるかわりに常に国民全体のために存在する、

という特命てか天命をおびた一家が日本に一軒くらいあったっていい。

てかあるべき。

中世近世の日本では天皇の存在が今以上のものだったにもかかわらず、

信長は足利将軍家の次に天皇家を武力追放しようと考えてた模様。

西洋かぶれの信長は南蛮人にカトリック布教を許可する一方、

各地の文化財(仏教寺院)を文化人(僧侶)もろとも焼き払い、

不服従勢力なら女子供も皆殺し、という言わば極左テロリストで、

さらに本拠の安土では己を生ける神として家臣領民に

崇めさせるという、言わばカルト教祖だった。そんなカルトテロリスト

信長を嫡男信忠もろとも一晩で誅殺した光秀は逆に、いたって善良な

保守系の一般市民感覚の持ち主だった模様。

もし本能寺の変がおこらず信長の天下が続いてたら、

キリシタンは急増し、信長による天皇家廃絶で乱世ここに極まり、

それに乗じた南蛮(スペインかポルトガル)の軍勢が

各地に増えた日本人キリシタンを味方に日本侵略を開始。

すでに朝廷なき日本では織田と反キリシタン諸大名との連携が全くとれず、

南蛮キリシタン連合によって織田も諸大名も各個撃破されて日本終了。

さらにその後200年は南蛮紅毛の領土争いの舞台にされ、

西葡蘭英による分割支配が繰り返され日本は修復不能なまで

バラバラに解体されてたかもしれない。

しかし日本がそうなるのを光秀は「敵は本能寺にあり!」

の一言で未然に防いでくれたのだ。あっぱれ日向守!

でかした十兵衛! やったねキンカン!w。

今こうして日本が続いてるのも光秀公のおかげだなーw、バンザイ!

(中世~近世の歴史には当然諸説・諸解釈が存在しますw。

鱈レバ歴バナおもろいなーw。)

なんのハナシだったっけ? わからなくなったので本日終了w

byうさんくさい歴じぃ

NHK総合テレビ水曜夜の歴史番組、サントラCD
左:'00年3月~'09年3月オンエア 音楽:谷川賢作
右:'09年4月~オンエア 音楽:梶浦由記