ブログにあげやがって、という賞賛の声wにお応えしまして、
今回はモロ音楽ネタですよ。
世界には約200の国家があり、どの国にも国歌がありますが、
国歌に次ぐ第二国歌が制定されてなくても、慣例的に国民から
準国歌として認識されてる歌が存在する国が多いようです。
USAの国歌は「星条旗」Star Spangled Bannerですが(結構
このタイトルを、米国を代表する行進曲「星条旗よ永遠なれ」
The Stars and Stripes Foreverと混同してる人がいますけどねw)、
準国歌はGod Bless America ですよ。それよりも
America The Beutiful だろ、と言う人も多いようです。
UKの国歌は「神よ女王陛下を護り給え」God Save the Queen
(セックス・ピストルズの曲とは違いまんねん)ですが、準国歌なら
「威風堂々(希望と栄光の国)」Land of Hope and Glory
(これはピストルズもカバーてかロンドン交響楽団と共演!?)、
または「統べよ、ブリタニア」Rule Britanniaですよ。
国家社会主義ドイツ労働者党独裁の国、第三帝国の国歌は
「世界に冠たる我がドイツ」Deutschland,Deutschland über alles
(現BRD/FRGの国歌は同曲の3番だけを歌い、曲名も単に
「ドイツの歌」Deutschland lied )でしたが、第三帝国の準国歌なら
「旗を高く掲げよ」Die Fahne hoch ! で別名(通称)が
「ホルスト・ヴェッセルの歌」Horst Wessel lied ですよ。
どの歌もヨウツベで聴けます。興味ある方はご自由に。
我が日本の国歌は「君が代」Kimigayoですが、準国歌は?
と言われても、戦後レジーム71年の今や知らない日本人の方が
多いとは思いますが、「海ゆかば」Umiyukaba ですよ。
この歌を知らない日本人は是非ツベ聴きして覚えましょう。
日本国民なら君が代は勿論、第二国歌の海ゆかば くらい
歌えなきゃ。でないと日本オタの来日ユーにナメられますよw。
ワタクシは幼少の頃から知ってて歌えました。亡きオヤジが
風呂で歌ってたからです。他にも「愛国行進曲」「歩兵の本領」
「轟沈」「ラバウル海軍航空隊」なども風呂で歌うだけでなく、
ピアノでも弾いてました。といっても、昭和ヒトケタに地方の平民の
家に生まれたオヤジはピアノを正式に習ったことなどなく、
楽譜も全く読めませんでしたがね。右手で音程を探りながら
メロを弾き、左手は超低音でデタラメな不協和音を単なる
ビートとして加えるという自己流奏法で、日曜の昼間とかに
軍歌メドレーをピアノで演ってましたよ。ちなみにウチにあった
そのピアノは、ワタクシと妹のためにオヤジが購入したものです。
兄妹2人とも小学生の頃、週1でピアノ教室に通ってました。
ワタクシの初ステージとはカワイ音楽教室の発表会ですよw。
たぶんブルグミュラーの曲のどれかでしたね。話を戻すと
オヤジは軍歌好きでしたが、右翼ではありませんでした。逆に
昭和期はずっと選挙では当時の社会党に入れてましたからねw。
しかし昭和末に仕事の都合上、しぶしぶ自民党の党友になり、
仕事をリタイアした後は党友もやめたはずですが、平成に入り
自社両党とも分裂再編したあとは、何党を支持してたかは
わかりません。が、神社の大好きな男だったので、常に
共惨党と公冥党にはアンチだったことだけは確実です。w
大東亜戦争当時のオヤジは旧制の中学生で、脚にはゲートル、
手には小銃の軍事教練の経験世代で、爆撃されて穴のあいた
飛行場の滑走路復旧作業といった勤労奉仕をも経験してます。
当時としては当然の如く、やがては出征し、戦死する覚悟まで
していたという普通の中学生だったオヤジにとって、はたまた
海軍で戦死した5才上の兄がいたオヤジにとって、きっと
軍歌・愛国歌には様々な思いが詰まっていたことでしょう。
そんな軍歌・愛国歌の筆頭曲と言えば準国歌の 海ゆかば です。
なんと海ゆかば と君が代の2曲をワタクシは昨日、一昨日と
2日連続して異なる場所で別の方々と共に斉唱するという、
平成の日本国民としては極めて珍しい?体験をしました。
まず一昨日は虎ノ門にあるニッショーホールで開催された
「帝国陸海軍軍歌大演奏会」に1観客として参加。
"参加"というのも、一緒に口ずさめる歌は是非ご一緒に、と
演目の全歌詞を掲載したプログラムと、国旗(ウラ面は旭日旗)
の小旗が全員に配布されるイベントなのです。その日の演目
約40曲のうち約半数はワタクシは歌詞無しでも口ずさめる歌でした。
特にラストの3曲、「愛国行進曲」「日の丸行進曲」「海ゆかば」では
フォルテで全コーラス全パート最初から最後までシンガロン!
感動!ばんざい!
最初に君が代 を全員で起立斉唱 |
主宰の那須戦争博物館館長(右) |
最後に海ゆかば を全員で起立斉唱 |
つづいて昨日は、某愛国団体主催で靖国神社境内の
"慰霊の泉"~"戦跡の石"で開催された
「第2回レイテ沖海戦慰霊の集ひ」に参加してきました。
レイテ沖海戦とは、大東亜戦争のうちの日米戦(満洲の日本軍を
弱体化したいソ連の工作員らにそそのかされた反日レイシストの
米国大統領ルーズベルトが日本を滅ぼすために仕組んだ戦争。
在米日本資産凍結と対日石油禁輸で先に日本を窮地に追い込み
日米開戦に仕向けたのは米国。戦後、米軍マッカーサー元帥も
「日本がおこした戦争は自衛戦争だった」とハッキリ公言)
の末期、昭和19(1944)年10月23日~25日にフィリピン中部の
レイテ島の周辺で日米両主力艦隊が最後に激突した海戦です。
日本海軍は空母・戦艦・巡洋艦等の多くを失いほぼ壊滅。
劣勢の中、神風特別攻撃隊(の敷島隊)が10/25に初出撃し、
初戦果をあげたという、世界に記憶される壮絶な戦いでした。
神風特攻隊は自爆テロとは似て非なるものです。
特攻は正規軍の兵士による、敵軍のみへの攻撃です。
一般市民を装った犯人が無差別に一般市民を巻き込む
自爆テロなどとは全く異なるものなのです。日本人なら特攻で
散華された英霊の皆さんをリスペクトし、心から感謝しましょう。
なぜに感謝?は話せば長くなるのでまたの機会とします。
ワタクシの伯父(オヤジの兄)が乗り組んでいた伊号潜水艦も
この海戦に合わせて同水域に出撃。海戦初日10月23日の
比島沖からの位置報告の打電を最後に連絡が途絶えました。
戦後公開された米軍側の記録によると、レイテ周辺の主な海戦が
終わって3日後の10月28日にレイテ島東方200km海上で米軍の
駆逐艦2隻が潜航中の日本軍潜水艦1隻を爆雷で撃沈とのこと。
日米双方の記録が照合され、その潜水艦が伯父の乗艦に確定。
遺骨?もちろん海底です。伯父の墓には入営前に実家に残した
髪とボタンを遺髪と遺品としておさめたようです。
いずれにせよレイテ沖海戦で伯父も亡くなったといってよいので、
今回の慰霊の集ひに参加してみました。実は"戦跡の石"とか
靖国神社の境内中央の参道からは少し離れており、
見たことすらなかったので、昨年の同会(第1回)で
"戦跡の石"に献水をしている画像を主宰B氏(本名K氏)の
ブログで目にして、強く参加を決意したのでありました。
昨年は参加者30余名だったそうですが、今年は約100名。
時代の潮流は明らかに反日サヨク側から愛国側へ来てます。
反日マスゴミと日教組に洗脳された亡国お花畑の護憲派よりも
現実的な国防を考える改憲派が増加してる流れの現れですよ。
"慰霊の泉"を前にして約100名が「君が代」、「海ゆかば」、
「蛍の光(3番4番のみ)」、「ふるさと(2番3番のみ)」を斉唱。
奇しくもワタクシには2日連続となる国歌と準国歌の斉唱でした。
あとで気付いたのですが、これまた非常に珍しい奇遇で
「軍歌大演奏会」主宰"館長"も、「レイテ慰霊の集ひ」主宰B氏も
ご両名共になんと(元)獣医で、苗字もク~で共通のK氏でした。
ご両名は全く与かり知らぬ、ワタクシにとっての奇遇ですがね。w
ちなみに原曲スコットランド民謡の蛍の光(ラスチック好きなら
THE TROJANSのAulde Lang Syne オシ)ですが、
知らない人も多いと思うので書いておきますが、日本語の歌詞
(明治14年制定)は、夫/想ひ人/兄弟を軍隊に、国の護りに送り出す
女心を歌ったものです。そのことがよくわかる3番、4番の歌詞
(戦後にGHQが、軍国的だとの理由で3番4番の歌唱を禁止)
を紹介しておきます。
♪蛍の光
3.筑紫(ツクシ)の極み 陸(ミチ)の奥 海山(ウミヤマ)遠く隔つとも
その真心は隔て無く 一つに尽くせ国の為
4.千島の奥も 沖縄も 八洲(ヤシマ)のうちの護りなり
至らん国に勲しく 努めよ我が背 恙(ツツガ)無く
献歌 |
献水 |
献杯 |
しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ
朝日にゝほふ 山ざくら花 (本居宣長)