ケルトOi演歌な新曲の評判もよく、センクス的には新音源を早く
出せるよ録りだめしてく所存。
帝都N区S公園ヨザクラ |
明日卯月朔日の昼日中、皐月からの新天皇陛下の御代に使われる
新元号が発表されるとのことですが、作家・竹田恒泰氏(明治天皇の
女系玄孫ではありますが、14世紀の北朝第3代崇光天皇の男系30数世
として皇位継承権108位だかをお持ちの、自称1ラーメン屋オーナー)
が虎8(DHC虎ノ門ニュース)で1年程前に語られた予想としては、
「安〇」「永〇」「建〇」「弘〇」「文〇」のいずれかでは?とのことで、
さらに具体的に「安化」「永光」「文弘」を有力3候補とされてましたが、
果たしていかに。その3候補ならワタクシ的には「永光」オシですがね。
「令和」発表後の後日追記:新元号選考委員会では最終的に
令和・英弘・久化・広至・万和・万保 の6候補の中から令和が選ばれた模様。
明治天皇玄孫の作家・竹田恒泰氏が昨年から予想していた数候補の中で
ワタクシ推しの「永光」とは文字違いの「英弘」(エイコウ)という同音候補も
最終選考まで残っていた模様。中らずと雖も遠からず、ですかねぇ、
さすがラーメンくろおびオーナー竹田さんです。なんでやねん。
昨日最終回だったNHK朝ドラ「まんぷく」、まぁ面白かったですね。
この半年間、留守録して全話みましたよ。画期的な新商品の開発
ってのは、ワタクシがスカンクス~トイソックス~センクスで
やってきた~やろうとしてる、新スタイルでの新ミクスチャー音楽
にも通じるものがありますしね。即席麺を開発し世界に広めた天才
安藤百福氏をモデルとした立花萬平が劇中で痛感してた「アイデア
を言葉で伝えようとしても他人には上手く伝わらないモドカシさ」
をワタクシもメンバーや関係者相手によ~く感じてたものですw。
といっても、ワタクシは自分が天才だとは言ってませんよ。
ワタクシは自分がキ印のキ才だとは自認してますがねw。
弦楽奏者でもある某パブの女将などはワタクシのことを「ヘンタイ」、
東洋センクスのことを「キツイの」wなどと、ストレートに褒めて?w
くれますが、こんなキ印が1人でPC相手に楽曲を丸ごと自宅で
創作・録音まで出来るようになった、平成日本の文明社会に感謝。
ハナシを「まんぷく」に戻すと、昭和37(西暦1962)年生まれの
ワタクシには、昭和33(西暦1958)年発売の日清チキンラーメンは
生まれた時から存在しており、即席麺誕生の衝撃と感動wを実体験
することは叶いませんでしたが、昭和46(西暦1971)年に
日清カップヌードルが発売された当時の事は、既に小3だったので
結構覚えてます。テレビCMを見たダビス・Kidは母親に
「喰ってみてゃぁで買ってきてちょぉ」とネダるも、ガマグチの
クチの固い母親に「100円もするでかん」と一蹴された記憶。
今ではカップ麺の価格は袋入り即席麺の1.5倍程度ですが、当時は
3倍もしたんです。しかし数週後に母はカップヌードルをいきなり
買ってきてくれました。「78円で売っとったで買ってみたったわ」
とのこと。で、初カップヌードルの印象は「不味くはないけど
変った味」「乾燥させた具が変で面白い」でしたね。翌年には
近所の個人経営スーパーの店頭にカップヌードルの自販機が
設置されて驚きました。夜中でも売れるからだなとは思いましたね。
当時は24h営業どころか11pmまで開いてる小売店すら
生活圏内には1軒もありませんでしたからね。コンビニなど
日本に普及する前のハナシなのです(日本初のコンビニは
昭和49年5月開店のセブンイレブン豊洲店)。その後すぐの
昭和48(西暦1973)年には第四次中東戦争をキッカケとする
原油価格高騰による「石油ショック」が起き、ほぼ全商品が
値上げせざるをえなくなり、当初は100円だったカップヌードルも
昭和49(西暦1974)年には、たぶん120円になってましたね。
45年前で既にその価格って、平成長期デフレのその凄まじさも
再認識できますが、現在の即席袋麺の価格は当時の倍以上する
というのに、カップ麺は当時と大差ないってことは、発売当初の
100円ってのが“世良さん”の言ってた通り、ボッタクリ価格だった
んじゃないかと思えてなりませんねぇw。ちょうど同じ頃、
my生活圏の最寄り駅前にオートスナック(24h無人営業の自販機&
ゲームコーナー。当時まだテレビゲームはなくピンボールがメイン)
ができ、お湯が出るカップヌードルの自販機が設置されました。
定価120円の当時、お湯つき自販機は130円でしたね。それ以前から
ある、お湯なし自販機ではプラ製フォークが自由に取れるように
なってましたが、お湯つき自販機はプラ製フォークだけでなく
木製割箸も選択できるよう進化してましたね。結局は箸の方が
洋風ファッション性重視のフォークより食べやすい、という意見を
おそらく採用したんでしょうね。まだコンビニも無く、深夜営業の
ファミレスやファストフード店も普及する以前の時代のハナシです。
ちなみにぐぐったら、お湯付き自販機はカップヌードル発売年から
ある所にはあったようですし、年度と価格についても、地方の
田舎町の小学生だったワタクシの個人的な記憶によるものですので、
多少の誤認はありそうです。その点はご了承ください。
「まんぷく」最終月を見て当時をあれこれ思い出したワタクシは
EXPO'70大阪万博にも愛知県から日帰りで2回いったことのある
モロ昭和後期人です。アメリカ館の月の石も見たし、太陽の塔の
内部もしっかり観覧しましたよ。昭和45(西暦1970)年当時はまだ
小2でしたが大阪万博に関しては鮮明な記憶が残ってます。
翌々年の浅間山荘事件のテレビ実況も見てましたよ。だからか、
「まんぷく」最終週では、売れ行きの悪かったカップヌードルも
歩行者天国で販売したら一気にブレイクして目出たし目出たし、
ということだけにして終わり、浅間山荘事件については完全に
スルーなのには正直ガッカリでしたね。リンチ殺人犯を含む
極左テロリストの連合赤軍が人質を盾に立て籠もる、軽井沢の
浅間山荘を包囲中の機動隊の皆さんが、カップヌードル片手に
立ち喰いしてる光景が全国のテレビに映しだされ、
「機動隊員達が立ち喰いしてるアレは何だ?」「便利そうな麺だな」
ということで一気に話題となり、カップヌードルが広く日本国民に
認知され、売れるキッカケになった、という有名なエピソードが
あるにもかかわらず、まんぷくの脚本家氏はそれを見事にスルー。
様々な観点から浅間山荘事件には一切触れることなくホコ天1本で
OKと判断したのか、はたまた当初の本では触れてたにも関わらず、
NHKのおエライさんの中に赤軍派シンパの馬鹿サヨクがいたりして
「浅間山荘事件には一切触れるな」と、本の書き換えを脚本家氏に
命じたりしたのかどうかなど、全くわかりませんが、所詮は
フィクションの芝居なので、そりゃ自由ですが、売れたキッカケが
ホコ天のみじゃ、なんか片手落ち感が半端ないですね。
この際ついでに気になったことを書いておくと、キャスティングが
ある方面の役者に明らかに偏りすぎでしたね。さすが犬H系大阪w。
ちなみに愛国リベラルなヒラガナうよくwのワタクシが、まんぷく
全151話の中で、もっとも感動して目から汗が出たシーンといえば、
まだ序盤の終戦直後、出征してた義兄の画家・忠彦が生死不明のまま
遅れに遅れて無事復員し、いつしか身内一同で万歳するシーンです。
泥棒だったカンベも一緒に万歳してて「なんでお前がおんねん」な
オチも付く、涙と笑いの新喜劇、的な ネ申回でしたね、バンザイ!
※my過去投稿の「日清チキンラーメン」関連話題はコチラ↓
https://dabis-k.blogspot.com/2018/08/blog-post_25.html
(平成30年8月25日「即席麺、祝・還暦」)
※my過去投稿の「まんぷく」関連話題はコチラの後半↓
https://dabis-k.blogspot.com/2018/11/big-prize-ohtani-san.html
(平成30年11月13日「BigPrize,Ohtani-san!」)