2019/04/27

要石(Kaname-ishi)

まいど。小学5,6年の頃、生国たる尾張(愛知県西部)の田舎の

神社の祭礼の山車(だし)の巡行と共に奏でるお囃子を横笛で吹いたり、

幕末維新期の軍装にも似た和洋折衷感のある衣装を着用しての

獅子舞を、お祭りの舞台で演じたりと、ガキの頃から実は自然に

Japanese Tradな MusicとDanceにも触れつつ、

神道行事にしっかり関わってたワタクシ Dabis-Kaguraですが、

なんともお恥ずかしいことに、今年で関東在住38年になるというのに、

“東国三社”には、その一社にも、まだ一度も参拝したことが

なかったのです。東国三社とは、茨城県鹿嶋市の鹿島(カシマ)神宮、

千葉県香取市の香取(カトリ)神宮、茨城県神栖市の息栖(イキス)神社です。

数年前にBS放送で、戦国初期の鹿島神宮の神官の家に生まれた剣聖

「塚原卜伝(ツカハラぼくでん)」のドラマ(主演:堺雅人)を数回見て、

拙者もモノノフのハシクレたる身(弓道初段なもんでねw)にして、

自衛隊全面支持の国防優先論者の外野席(もちろんライト側w)

立ち見の者なればw日本建国の武神、武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)

祀りし鹿島のオヤシロに一度は詣でねばならぬなーとは思ひつつ、

ズルズルと参らずじまいだったのです。が、2年前にまたクルマを

入手した事と、昨秋から御朱印蒐集を開始したこともあり、急に

「よっしゃ、平成のうちに東国三社にマイルぞ」と意を決し、先日、

ようやく東国三社巡りがかないました。江戸期の関東者には、

遠く伊勢詣から戻ったらすぐ東国三社を巡拝する、という風習も

存在したようでして、ワタクシ的には、伊勢神宮にも東京大神宮

(千代田区・飯田橋駅近。「東京のお伊勢さん」)にも過去複数回、

ここ半年以内にも参詣して御朱印をいただいておりますが、

芝大神宮(港区・大門駅近。江戸期には「江戸のお伊勢さん」として

幕府が庇護し、将軍家も庶民もお伊勢参りの代わりに参詣)には

まだ一度もお参りしたことがなかったので今回、お伊勢さんとして

芝大神宮に参詣し、そのあと東国三社めぐりをする神社三昧を

思い立ち、敢行してみました。以下画像全てfoto by Dabis-K.tai

The 1st East Torii of Kashima-jingu Shrine
鹿島神宮 東の一之鳥居(明石浜鳥居)

鹿島神宮の本殿から北東に約3kmの明石海岸、

その防波堤の内側に建つ、ヒガシのイチの鳥居がコチラ↑。

防波堤の外側は80mほど砂浜で、さらにその先は鹿島灘(太平洋)。

サーファー数名を波間に視認。どうやら波乗りポイントらしいですが、

それ以前にここは日本の夏至の日のレイライン(※註)の起点と考えて

良いポイントかも。ひょっとして毎年の夏至には、日の出時刻に

結構な人数が御来光を拝みに集まるのでせうか? 未確認ですがね。

The 1st West Torii of Kashima-jingu Shrine
鹿島神宮 西の一之鳥居(大船津の鳥居)
鹿島神宮本殿から西南西1.7kmほどの鰐川(ワニガワ。北浦の南延)の

水中に建つ、ニシのイチの鳥居がコチラ↑。水底からの高さ18mは

安芸の宮島・厳島神社の大鳥居(同16m)を超え、日本一の水中鳥居。

Sazare-ishi stone, Kashima-jingu Shrine
鹿島神宮 さざれ石
鹿島神宮の本殿から奥宮に向かう参道途中に鎮座する「さざれ石」

(御幣が飾られ、複雑な色をした岩)がコチラ↑。

いわずと知れた、国歌・君が代の歌詞にも出てくる、長い年月を経て

海底の小石が地下で圧着してから地上に隆起してきた岩のひとつ。

全国各地の日本建国に関わる神々を祀る神社で「さざれ石」は

見られますが、ここ鹿島神宮のさざれ石はレアなことに、隣に

「日の丸の石碑ぞえ」。ひので国、千代に八千代に、万々才!

Kaname-ishi stone, Kashima-jingu Shrine
鹿島神宮 要石
コチラの写真↑中央、御幣の真下の直系20cmほどに見える丸い石が、

地震を引き起こす大鯰(オオナマズ)を地底に封じ込めてるといわれてる

巨岩「カナメイシ」の、地表に露出して見えるゴク一部分。

拡大するとコチラ↓

鹿島の要石 ドゥーワップもといドうp
(上部が窪んだ丸い石が鹿島のカナメイシ地表部分)
17世紀に常陸水戸藩第2代藩主、水戸黄門の名で知られる徳川光圀が、

この地震を防いでいると伝わる「要石」の全貌を知りたくて掘り出そう

と7日間掘り進めるも、地中深く果てしなく続く巨岩なうえ、

工夫に怪我人が続出したので作業を断念、埋め戻したとのこと。

要石に守られてるおかげか、東日本大震災では石造りだった大鳥居が

倒壊しましたが(鹿島神宮の杜から切り出した檜の大木で再建ずみ)

怪我人は出ませんでした。

一説では、この鹿島神宮の要石と地下で繋がってると言われてるのが、

直線距離で14kmほど離れた香取神宮の要石で、こちら↓。

Kaname-ishi stone, Katori-jingu Shrine
香取神宮 要石
コチラの写真↑中央、丸くみえる人頭大の石が、香取神宮の要石の

地表露出部分。こちら↓の写真は香取神宮本殿と樹齢千年、杉の御神木。

Katori-jingu Shrine
香取神宮 本殿
Ikisu-jinja Shrine
息栖神社 参道
TSUKAHARA Bokuden Statue
鹿島神宮そばの生誕地に建つ
剣聖塚原卜伝像
「戦わずして勝つ、無手勝流」イイネ
Holy Deer in Kashima
鹿島の神鹿
奈良公園の鹿のルーツは鹿島神宮の鹿です。
奈良の春日大社の主祭神、武甕鎚命が鹿島神宮から
春日大社まで鹿に乗って遷られて以来、
鹿は奈良では神使とされて今に至るのです。

※註 Ley Line (遺跡・霊場等の所謂パワースポットが地図上1列に

並び形成する線)が、日本にも幾つかあると言われてるようですが、

その中で“夏至の日のレイライン”と言われてるのが、

鹿島神宮・皇居・明治神宮・富士山・伊勢神宮・吉野山・剣山・高千穂

を結ぶライン。地図上では右肩あがりの直線、つまりザックリ

東北東からアバウト西南西へ、といった角度の直線になります。

夏至の日の出に、このライン上で東方を見ると

ちょうどこのラインの延長線方向から太陽が昇ってくる模様。

今回、数年前から心に秘めてはいた鹿島神宮への参詣も無事かない、

気が付けば“夏至のレイライン”の主要8スポットのうち、いまだ

ワタクシが一度も訪れたことがないのは残すところ西国の

2ヶ所のみとなりました。剣山と高千穂です。しかしながら、

登山趣味もないアラシスとしてはツルギサン(徳島県)は

もうパスですね。富士に登頂したのは10代の時のハナシですし。

でもタカチホ(宮崎県)巡りなら、まだまだいけそうです。

50代のうちに“西征”(不敬意図ゼロの洒落です)してみるかも。


翌月追記:標高1955mの剣山ですが、1420m⇔1750mを結ぶ

リフトがあり、その乗場までは自家用車で行けて無料Pに停めて

おける模様。で、リフトおりてから初心者向きコースなら

2時間強で山頂を一巡できる模様。幼少の安徳天皇(平清盛の孫)が、

実は壇ノ浦で入水なされず四国に落ち延び、三種ノ神器の宝剣

(アメノムラクモノツルギ)をこの山に奉納したという伝説があり、そこから

山の名もツルギサンとされた、といわれてます。剣山の近くには

平家の落人村として有名な祖谷渓もあるし、ワタクシも岡山県の

伝・平家の落人村出身の祖母の孫として俄然、この霊山に登る気

マンマンしてきましたよ。50代のうちに行ってまいる所存。