2024/05/21

昭和99年、晩春~初夏イロイロ

まいど、神社好きな還暦すぎオヤヂのダビス・Kegareキヨメタマエ~です。

先月の“昭和の日”(4/29。昭和天皇の御生誕日)に参拝いたしました

現my鎮守さま、O.H神社の御前にて、ハタビにつき普段の平日よか

断然多い参拝客がふと途切れると同時に、それまでほぼ無風で

下に垂れてた日章旗(※註1)が風に突然なびいた、その瞬間がこちら↓

旧東京府東多摩郡KOK村~
旧東京府豊多摩郡IO町の
鎮守さまたるO.H神社
主祭神は皇室第15代の応神天皇

つづいて去る5月3日の昼日中、チャリで買い物に出かけると

♪ド~ン、ドドン!と超重低音で鳴り響く、超弩級ベードラ!?wてか

巨大太鼓の音が接近してくるのに気づいたんです。

音のする方向にチャリを走らすと、そこでは旧隣村の鎮守さま、

あの流鏑馬(ヤブサメ)でも有名な I.H宮の “太鼓祭”の最中でして、

お揃いのお祭り衣装に身を固めた20名ほどの御一行に遭遇したのです。

その、太鼓を打ち鳴らしつつ巡行する御様子がこちら↓

ぐぐったら、この大太鼓の胴は
台湾産の巨大ヒノキ1本を
くりぬいて作成とのこと。
お見事な大太鼓!
謝謝台湾

しかし I.H宮の太鼓祭、何故の5月3日開催なんでしょかねー?

ぐぐったけど、わからずじまい。米国が日本を弱い属国として

未来永劫支配し続けるために日本に押し付けた、GHQ憲法だの

マッカーサー憲法だのとも揶揄されてる現・日本国憲法の、その

昭和22年5月3日の施行を記念しての行事なワケないでしょしね~。

で、5月3日は他に何の日かぐぐってみたら、なんと西暦1592年の

当時の日本の5月3日(新暦では6月12日)は、“文禄の役”(ブンロクノエキ

※註2)において、日本軍が当時の朝鮮の都・漢城(現ソウル)を陥落させ、

日本軍を率いてた小西行長と加藤清正が漢城に入城した日だとのこと。

なるほど。といっても、その桃山期の西国大名たる御両将とは勿論、

その親分たる当時の天下人・豊臣秀吉とも I.H宮は全く無縁でして、

当時すでに徳川家康領だった関東は武蔵の1神社で、わざわざその

朝鮮での1戦勝を記念しての太鼓祭など始めねーべ?w  

さらに5月3日は何の日かぐぐり続けると、なんと昭和42年の同日、

玩具メーカーのタカラがあの “リカちゃん人形”を発売開始

した日だと判明。これだ!!!     なワケあるかい!www

そういえば、この人形女子のリカちゃんに、メーカーのタカラが

設定してた本名フルネーム(香山リカ)を、まんまパクって名乗ってる

精神科医で、2年前まではR大学教授にしてサヨク活動家wという

中年女性がおりましたけど、オモチャの人形に設定されてた姓名を、

そっくりそのままオノレの芸名・通称(てか通名?)に勝手に頂戴して

名乗り続けるのみならず、公道上の公衆の面前で中指おったてながら

NGワードを喚き散らしたりとか、一体全体どんな神経をお持ちの

精神科医さんだったのでせうか? 一度ちゃんとした精神科に行って

てもらうべきかとwww


※註1:日章旗(ニッショウキ)とは国旗・日の丸のことですよ。

それとは異なる派生型で、16条や8条の太陽光線も表現されてる

軍旗/軍艦旗/連隊旗/自衛隊旗/自衛艦旗といった旗の総称は

旭日旗(キョクジツキ)ですからね。広義では日の丸も旭日旗もひっくるめた

総称を日章旗とする場合もありますが、普通に使われてる狭義では

あくまでも日の丸の正式名称が日章旗でして、旧日本軍~現自衛隊で

使用されてる旭日旗とは区別されてます。にもかかわらず

今40代~60代の世代中心に、なぜか旭日旗のことのみを日章旗だと

誤認してる者大杉。おそらく昭和も終盤頃の暴走族や不良中高生

(ヤンキーちゃいまんねん、ツッパリでんねんw)等を描いた

マンガ/アニメ/映画等で、日章旗・旭日旗に関して何か勘違いを

していた原作者か脚本家書かれたマチガイ台詞とかにより、

旭日旗のことを日章旗だと覚えてしまった者が多そな悪寒w。

my実家では昭和50s初期まで、当時は年に12日ほどだった祝日には

旅行にでも出てない限り、毎度玄関に日の丸を掲げてましたよ。

その祝日以外は綺麗に折り畳んでしまわれてた国旗・日の丸の、

その購入時以来の専用箱のフタには、“日の丸”でも“日本国旗”でもなく、

しっかり“日章旗”と書かれてた事もハッキリ記憶しております。

昭和30s生まれのワタクシの記憶では、昭和40s半ばまでは、なんと

戸建て住み世帯の8~9割方が、祝日には玄関先に日の丸をあげており、

祝日の事をハタビと呼ぶのも普通でしたが、たしか昭和40s終盤頃から

祝日に日の丸をあげる家庭が急減し始め、今に至る感じ。一家の主人が

戦前戦時の愛国教育を受けた世代から、戦後のGHQ指導による

“愛国心を無視~否定する教育”を受けた者へと世代交代が進むと共に、

朝日系・毎日系・NHKといったモロ左側の新聞テレビ雑誌ラジオや、

各界で善人ヅラしてる売国サヨクと反日害国人どもがナニゲ・サリゲに

「今どき祝日にワザワザ日の丸あげてるよな家はアブない右翼」

だとかジワジワ~っと世間に広めてたイメージ大。

my父親も昭和50sに日の丸あげるの急にやめたんで、当時たしか中学生

だったワタクシは親父に「日の丸だすの、なんでやめたワケ?」と聞いたら

「ご近所みんなやめたでな。右翼だとか思われたくもないでよ」なんて

言ってたのをよく覚えてます。ネット空間も無い約半世紀前当時は、

新聞テレビ雑誌ラジオでの左巻偏向ニュース~反日サヨク的発信に

多くの日本国民がコロっとダマされてしまいがちな時代でしたね。

それから約半世紀も経た今現在でも、地上波TV局の大半がとっくの昔に

売国サヨク&反日害国人に乗っ取られてしまってることも露知らず、

NHKテレ朝TBSフジテレ等の 反日・親韓鮮・媚中でアンチ保守の親サヨクな

左巻偏向報道をいまだ盲信してしまってるよな純日本人が、まだまだ

多いのはホント嘆かわしい事ですね。左巻テレビに騙される以前に、

まだ18才~30代とかで政治とか全く興味ないってな感覚もまぁ理解

できますが、政治に全く無関心でいたうちに、近くの山にメガソーラーの

パネルが敷き詰められ、それにより山の保水力が落ちて、大雨の後に

近所の川が氾濫して自宅は床上浸水の被害を受けた、なんてことにも

直結するんですよ。前回の市長選の際に、太陽光発電・メガソーラーには

猛反対してたあの人に当選してもらってたら、こんな目にもあわずに

済んだのにな~ ってな後の祭り的な事も十二分に起こりえるんです。

18才~30代の人も、コーノタローみたいなメガソーラー推進派の親中派

(現在、世界に流通してるソーラーパネルの約7割は中共製で、さらにその

約半数はウイグル人の強制労働によって生産されており、人道的に

極めて問題大なため、世界各国が中共製ソーラーパネルをボイコット中。

にもかかわらず、我が国の政界は自眠のコーノタローを筆頭に、橋シタ通ル~

吉無裸大阪府痴事や枯池都痴事といった非サヨクな中道系政治屋にも

親中派~中共の犬[マネトラかハニトラにひっかかって犬になるワケ]が多く、

中共系企業にホイホイどんどん中共製ソーラーパネルを日本中に敷き詰め

させてるというのが現況。そんな状況下、そもそもコーノタローの実弟は

中共本土でソーラーパネル関連部品の製造会社を絶惨経営中wなのでした。

コーノタローがモロ親中派にしてメガソーラー推しな亡国の輩なワケですよ。)

には絶対投票しないってな意識だけでも持ってもらうために

YouTubeで、「文化人放送局」,「デイリーWiLL」,「ニッポンジャーナル」,

「改憲君主党」,「くつざわ日本改革党」,復活「虎ノ門ニュース」 といった

あたりの政治系つべ動は、ちょくちょく視聴していただきたいですね。

ソーラーパネルの多くはウイグル人強制労働による中共製だという以前に、

そもそも雨天と夜間には全く発電できないシステムなんてアカンでしょ。

さらにソーラーパネルの寿命はわずか10~20年ですよ。コスパの良い物では

ないんです。まだ新しいパネルでも巨大台風や竜巻で吹き飛ばされて

破損して危険な粗大ゴミと化す可能性も低くはないし、火災の際に水では

消火できず、砂をかけて鎮火させなきゃならない厄介なシロモノなんです。

もうこれ以上のメーガーソーラー設置は禁止し、日本全国で原発再稼働させた

ほうが断然、電気代は安くあがり日本経済にも国民生活にも良い事づくめ

なのは明らかなんですよ。

※註2:文禄の役(1592-93年)は、慶長の役(1597-98年)と共に

“朝鮮出兵”と呼ばれ、豊臣秀吉による朝鮮への侵略行為だとみなす者も

多いのですが、当時の世界最強国だったスペイン(当時の世界各地を

武力制圧し、日本近隣ではフィリピンを既に占領ずみの侵略国)

による日本侵略を阻止するのが主目的だったのですよ、実は。

どういう事かと申しますと、当初は僅かな兵力で日本など占領できると

軽く考えてたスペイン(以下“イスパニヤ”)の本国政府でしたが、

既に日本にスパイとして送り込んでるイエズス会(キリスト教カトリック団体)の

宣教師から送られてくる報告によると当時の日本は戦国時代を経て

国全体が非常にイクサ慣れしてると同時に、既に鉄砲を大量に保有し、

鉄砲の実戦経験も豊富な、非常に手ゴワいだという事で、ならば

イスパニヤとしては先に日本より弱そなシナ(当時は明)を侵略して従え、

その人口だけは多いシナの大兵力を用いて日本に侵攻し占領するという

2段階計画を考えたのです。ちなみに13世紀・鎌倉期の“元寇”

(蒙古襲来)も、日本に攻めて来たモンゴル(蒙古/元)軍の各部隊長~

指揮官クラスはモンゴル人でしたが、一般兵士の大多数は

モンゴル占領地(元帝国)から徴集された朝鮮人シナ人だったワケで、

その3世紀後のイスパニヤも偶然?同じよな手グチを考えたワケでした。

そんなイスパニヤの“東亜平定計画”を、口軽な? 1イスパニヤ人のクチから

耳にした秀吉は、「ならばイスパニヤより先に日本がシナをおさえて、

イスパニヤ日本侵略をあきらめさせてやる」という主目的でもって、

朝鮮半島経由でのシナ(明)への出兵(それを秀吉は唐入り[カライリ]と表現)を

即座に計画して実行に移したのでした。

で、朝鮮に対しては日本軍を素通りさせろと通達したにもかかわらず、

朝鮮はそれを拒絶したうえでシナに援軍まで要請して抵抗したため、

朝鮮半島で日本軍vs朝鮮シナ連合軍という戦闘になってしまった、

というのが秀吉の朝鮮出兵ですよ。秀吉的には朝鮮侵略が目的ではなく、

イスパニヤの侵略から日本を守るためのシナ支配が主目的だったのです。

で、結果的に日本軍の“唐入り”はなりませんでしたが、一方のイスパニヤ

(=エスパーニャ。英語でスペイン。漢字の略号は「西」)の方も同時期に

エゲレス(英国)との英西戦争(1585年~)が断続的に続いており

(1604年に「西」がなんとか有利なかたちで終戦するも被害大)

結局「西」も「英」との戦いでシナ侵略どころじゃなくなってしまい、

シナも日本もまぁ助かりました。と同時に秀吉の死後に家康が

天下を取ると、日本にとって危険な諸外国(17c~19cの江戸期全体では、

西・蘭・英・露・仏・米)何かと付け入られるスキ(=軍事介入理由)

与えてしまう事にも繋がりやすい、日本人キリシタン(キリスト教徒。

白人諸国の工作員でもある白人商人や白人宣教師そそのかされて

反乱分子なりうる洗脳被害率も高い人々)の増加を根本から防ぐため、

キリスト教の日本での布教と信仰の全面禁止を徹底し、さらに

外国勢力を日本全体から排除するため、九州の限られた指定港でのみ

朝鮮・シナ(明~清)・オランダ(蘭)の3ヶ国とだけ交易する“鎖国”

実施したのでした。そういえば、「蘭」と「英」が「西」に続いて海外侵略で

台頭してくる以前の時代では、実は世界の覇権を「西」と2分してたという

「葡」(ポルトガル)についてヒトコトも触れてませんでしたが、「葡」は

東亜においてはシナのマカオを拠点にしたものの、そこから先の

侵略は「西」に譲ってしまった感大。しかし1543年当時の戦国日本

鉄砲を伝えてくれた「葡」のおかげで戦力が急速に拡大した日本

(鉄砲のコピー生産にすぐ成功した日本職人の高度な技術力万才!

1600年時点での国別鉄砲保有数で日本はナント世界最多!)は、

欧州諸国もビビるその武威により、その後の約200年は白人侵略国

による武力侵攻はおろか威嚇・恫喝も受けずに済んだとも言えます。

鉄砲もってた「葡」人さん、種子島漂着5963 &鉄砲試射会のみならず

ボッタクリ高値での押し売り販売w オブリガ~~~ド!

平和維持に戦力強化はかかせませんよ。ウクライナはせっかく

核兵器を保有(ソ連時代にウクライナに配備されてたソ連の核兵器を

ソ連崩壊後、ウクライナはそのまま踏襲配備)してたのに、お花畑的に

オメデタクも核放棄してしまったため、その後ロシアに攻め込まれた

とも言えます。汚花畑サヨクがよく言う“非武装中立”とかも所詮ムリな

絵空事ですよ。“永世中立国”スイスは自国の独立・平和・中立を維持する

ためにマトモな軍隊をもってるし、徴兵制での“国民皆兵制度”でもって

国民全体の愛国心を育むと同時に、各世帯毎にナント1挺ずつ自動小銃も

配備されてまして、スイスは国民全員でここ数百年間の独立と平和を

“武力”で守ってるんですよ。


最近の推奨つべ
★Shohei OHTANIが LA Dodgersでは初のWalk-Off Hit(サヨナラ打)!!!

(みかんちゃんねる  May20/R6  10'45")


★先月の衆院東京15区補選(4/28投票。結果は立犬民狩党と共惨党てな

反日サヨク2党が推す候補、つまりは亡国のヤカラが、下馬評どおりの

余裕当選でガッカリw)の際に、立犬共惨とは“別枠で反日サヨク”wな

れいぷ親鮮組の山本多漏が応援する須恫減気(今回は無所属)以外の

諸陣営に、悪質な演説妨害を繰り返していた “つ罵詐の痘”なる

政治商売カルト幹部(れいぷ親鮮組代表・山本多漏とは以前からの

お仲間wな模様)が先日3人も逮捕されましたが、その後日談など。

(くつざわ日本改革党  May20/R6  17'23")