2018/09/02

ヤンキーのVJ Day

ヤンキーちゅうても不良・つっぱり・イキった兄ちゃんちゃいまんねん、

本来の英語のYankeeでんねん。超長文につきドヒマなときどぞ。

我が国では8月15日が“終戦の日”と呼ばれ、皇紀2605(昭和20/

西暦1945)年の同日、連合国のポツダム宣言(降伏勧告)を受諾し、

大東亜戦争を終えた日として認識されてますが、主敵だった米国では

その18日後の9月2日を VJ Day (Victory over Japan Day)という

名称で対日戦勝記念日としています。1945年の9月2日、

東京湾に入った米国海軍の戦艦ミズーリ(※註1)の艦上で、

米国陸軍マッカーサー元帥ら連合国の代表8名と、日本政府全権の

重光葵(シゲミツ マモル)外相および大本営全権の参謀総長・梅津美治郎

(ウメヅ ヨシジロウ)陸軍大将が日本の降伏文書にサインし、これで正式に

大東亜戦争(米国が言う太平洋戦争、世界的に言えば第二次世界大戦

のうちのアジア~オセアニア戦線)が終結した日だからです。

米国の第二次大戦戦勝記念日には対独戦勝の日もあり、それは

日本より約4ヶ月早くドイツが降伏調印をした5月8日で、

VE Day (Victory in Europe Day)です。こちらは名称がVG Day

(Victory over Germany Day)ではないことに疑問を感じる人も

多いはず。正しい理由は知りませんが、自称ミリオタ歴じぃな

ワタクシの個人的推測では、第二次大戦のヨーロッパ戦線で、

米英ソらの連合軍に最後(1945年春)まで抵抗してたのは特に

ドイツ人だけではない(※註2)からか、米国国民の民族的ルーツ

としては英国系を抜いて実は最多だという独系米国人に忖度しての

名称なのか、米軍中心の連合軍がドイツ1国に勝ったと言うよりも

ヨーロッパ全土をファシストから解放したのだ!と大袈裟にアピール

したいからか、まぁ理由は恐らくそんなあたりでしょう。ともあれ、

世界的に見て8月15日を第二次大戦終結の日とみなす国は少数です。

特に、連合国の一員として日本にも宣戦布告はしてみたものの、欧州で

独伊らと戦ったのみで対日戦闘には一兵も派兵してない国にとっては、

第二次大戦の終戦日は1945年5月8日という感覚でしょうね

(58日時点で連合軍が未占領だったチェコ・・・第二次大戦勃発の

直前にチェコはドイツに併合されてたのです。だからチェコ戦車の

38(t)”は独軍戦車なわけ。超蛇足スマソw・・・のプラハ方面では、

米軍より少しでも多く占領地を広げておきたい/戦後のチェコを

完全コントロールしたいソ連軍が、ドイツの降伏調印など無視して、

同地残存の独軍に対する攻撃を停止しないので、独軍側も抗戦する

という戦闘が3日後の511日まで続いた模様。基本的にそういう

無法な侵略者体質のロスケ赤軍は、その3ヶ月後に日本に対しては、

815日以降3週間も一方的に侵略攻撃を続けたのです。後述)。

世界には8/15ではなく、9/2や5/8を第二次大戦終結日と認識してる

国もある、というだけのハナシでありまして、ワタクシは日本では

昭和天皇がラジオで日本国民に終戦をお命じになった8月15日が

大東亜戦争終戦の日ということに異論など全くございません。

皇紀2605(昭和20)年8月15日とは、日本国民一同が心の中で

大東亜戦争の結末を天皇陛下にお詫び申し上げる事となった日であり

(玉音放送のお言葉が難解で、てっきり本土決戦の督戦だと勘違いした

人もいたようですが)、また昭和天皇におかれましては大東亜戦争の

全責任を御一人で背負われる御覚悟をお決めになられた日であります。

翌9月の27日、昭和天皇は占領軍総司令官マッカーサー元帥のもとを

訪れ、マ元帥に対し昭和天皇は、「此度の戦争の全責任は私一人にあり、

日本軍将兵と日本国民に罪は何も無い。自分の身はどう処分されても

構わないが、いま食糧不足(※註3)に苦しむ日本国民をマ元帥の力で

是非とも救っていただきたい」という趣旨の話をされたのです。

米ソ両国から天皇を処刑しろという声が大きく上がっていた時なので、

マ元帥はてっきり昭和天皇が自身に戦争責任の無いことの弁明や

命乞いをしに来たんだとばかり思ってたら全く真逆だったので驚き、

「こんな素晴らしい君主がこの世に存在するのか? 天皇ヒロヒトは

最高の紳士である」と、マ元帥は昭和天皇を大リスペクトするように

なると共に、処刑なんてありえんでしょ、との結論に至った模様。

この3週前の9月2日に東京湾で行われた日本降伏文書調印式に

出席するために8月30日、わずかな部下と共に厚木飛行場に

降り立った際のマ元帥は、実は「いつ日本兵に狙撃されるか」との

恐怖のあまり小便を漏らしてライトカーキのズボンの股間が濡れてる

と云われてる写真があります。もし本当にチビってたとしてもw

当時65才のマ元帥のことなので、遠路フィリピンから厚木までの

フライト中(途中どこか米軍占領地の沖縄か硫黄島に立ち寄ってる

だろうけどワタクシは未確認)に、単に老人にはよくある通常の

尿漏れwをおこしていただけな可能性も高いのですが、

日本は降伏宣言したとはいえ、その時点でまだ米軍は進駐しておらず、

厚木飛行場も、そこから横浜の宿舎までの沿道も、武装した日本の

憲兵がマ元帥一行の警備にあたっていたのです。

いつ自分に向かって発砲するか、わかったもんじゃない、と多少は

危惧したことも確かなようですが、何もおきませんでした。

憲兵は上官から「来日する米軍司令官を警護せよ」と言われれば基本、

命に従うのみです。そもそも天皇陛下が「戦争は終わり」と言えば、

皇軍全将兵は勅命に従うのみです。まぁ一部、降伏に反対して

8/15前夜に反乱をおこした陸軍将校もおりましたが、そんな朝敵の

賊徒はごく一部の少数ゆえ、マトモな軍人らにすぐ鎮圧されてます。

なんにせよマ元帥は、その来日当初から日本における天皇の圧倒的な

権威をションベンちびりながら?w実感してたというわけです。

そこへきて4週後には前述のように昭和天皇ご本人の御心にも触れ、

「このようなエンペラーを処刑などしたら、今はエンペラーの命令で

おとなしく降伏した日本人のタガがはずれて、日本国民8千万が

竹槍を手に玉砕覚悟の総ゲリラ化するような事態にもなりかねん。

そんな死を恐れぬ“一揆勢”がソ連支援の共産主義勢力と結びついたら

日本統治など無理。ここは天皇ヒロヒトを生かし、ヒロヒトのもとで

日本人には大人しく米国の犬になってもらうに限る」と考えた模様。

それで日本から軍隊を無くし、日本人自身の手では自国すら守れない

腑抜けた状態に日本を貶める新しい憲法を、マ元帥は米軍の部下に

1週間で作らせ、日本に押し付けたのです。そんなヤンキーのGIが

72年も前にテキトーに英語で原文を書いたGHQ憲法を改正する事に

今なお反対してる連中とは、さぞかし米軍様サマな米国の犬どもか

と思いきや、アンチ米軍で日米安保にも反対してるヤツらばかりで、

そいつら護憲派というのは矛盾だらけの基地外ばかりです。

憲法シロウトのGIチームが、72年も前に1週間で書き上げたよな

今の日本国憲法を、1条どころか1項すら改正してはダメだとか

言ってる連中って、普通に冷静に考えてアタマおかしいでしょ。

大戦後の主要国の憲法改正回数を見ると、米6回、伊15回、加18回、

仏27回、独58回ですよ。なのに日本は0回。異常でしょ。

護憲派とは、日本を米国の犬にするためにヤンキーが作った憲法を

護れ!といいつつ、在日米軍に対しては「ヤンキー,ゴーホーム!」と

思ってる/実際に叫んでる、そういう頭のイカれた連中なのです。

まぁ護憲派イコール親 中朝韓露のいずれか派ですからね。

日本を軍事的に弱いままにしておきたいので、強くなる改憲には

反対してるだけの要するに護憲派とは非国民の売国奴&反日害人で、

合い言葉が「日本死ね」な連中です。護憲派とは日本人が北鮮に

拉致されても何もできない現状を良しとする、ようするに

拉致被害者など見殺しにしろ、と言ってるに等しい薄情きわまりない

連中なのです。もし憲法9条などなく、日本に普通の軍隊があったら、

北鮮に国民が大量(最大880人)拉致される事件など、発生してません。

工作船は海軍がどんどん拿捕/撃沈してますし、潜入工作員は陸軍が

見つけ次第、逃げようとしたら即射殺、土台人(在日の拉致協力者)は

憲兵隊が片っ端から捕縛してますからね。必要とあらば工作船の

策源地の北鮮港湾施設を、新設された日本空軍が空爆破壊してますよ。

しかし日本には国民を守る軍隊がなかったから大量拉致されたのです。

護憲派どもは、すぐ何にでも「話合いで解決を」と言いますが、

憲法9条のおかげで日本から攻撃される心配のない北鮮は、

拉致問題について日本とマトモな対話につくことすらしません。

竹島に関しての韓国も、千島に関してのロシアも同様です。

武力を背後にチラつかせること無しに交渉を求められても、相手は

シカトし放題なのです。幕末に開港を迫ってきた米国のペリーも、

日本人が初めて見る巨大な軍艦4隻で威嚇してきたから幕府も

話に応じたわけで、商船1隻での来航なら幕府も無視しましたよ。

「話合いで」が口癖の護憲派とは、歴史を無視したバカばっかです。

国民の生命・自由・財産を守るために憲法を少しずつ改正して

最終的には普通の軍隊を持つべき。護憲派(=反日害国勢力)は

すぐ「戦争になる/戦争をする」などと言って反対しますが、

護憲派どもが日本の侵略戦争だったと認識してる大東亜戦争でさえ、

日本国憲法を作った張本人のマッカーサーが、「あの戦争は

日本の侵略戦争ではなく自衛戦争だったし、そもそも日米開戦の

責任は米国にあった」とまで公言してるんですよw。

軍隊をもったら日本はすぐ侵略戦争を開始する、などという

護憲派の主張に根拠は何もなく、全くのデマカセなデマです。

日本が普通に他国を攻撃できる軍隊を持つと、中朝韓露は

日本に対して恐喝~カツアゲ的な金品の要求もできなくなるので、

自衛隊増強~再軍備につながる憲法改正を護憲派に反対させてる

だけなんです。金品巻き上げどころか、韓国は竹島の次に対馬を

スキあらば奪い取ろうと考えてますし、中共は尖閣のみならず

沖縄全島を日本から奪い取ろうとしてます。なので在沖米軍基地に

対する反対運動を中共はウラで大支援してるんです。

日本の護憲派とは中朝韓露いずれかの犬です。

特に中共北京政府のポチ野郎だらけです。「私は護憲派だけど

どの外国勢力とも無関係です」、なんて言ってる情弱無知の

マヌケなオヒトヨシは、間接的に自分が反日害国勢力の傘下に

組み入れられてることに気づいてないだけなのです。その人が

支持してる政党/政治家や団体/活動家が、中共からの支援を直接

または間接的に受けてる事を、その人が知らないだけなのです。

立件民狩・共惨・社罠・国罠民狩・痔由の売国5野党は、

韓鮮華系の帰化人1世~3世だらけで(日本国籍を持ってる以上は

日本ファーストな愛国者なら帰化系でも何も問題ありませんが、

帰化系政治家の大多数は、在日同民族に便宜を図ることを最優先し、

さらに旧祖国~父祖の故国を利する反日行為に勤しむ者が非常に

多いのが問題なのです。)、中共の犬だらけなのです。

韓国朝鮮帰化人系政治家にとって中共は宗主国様にして

スポンサー様なのです。与党の自民公冥にも中共の犬はゴロゴロ

います。困ったもんです。


マ元帥を日本の恩人などと考える人もおりますが、肯定しかねます。

マ元帥にしてみれば日本統治に成功して名をあげ、米国大統領に

なる腹づもりだっただけで(結局その夢は実現せず)、

そもそも自叙伝にはエエカッコしいの細かいウソが多いそうで、

尊大で自己中で、人格には難アリ杉男だった模様。

日米開戦当時、米国領だったフィリピン(以下“比島”)で指揮をとる

極東米軍司令官だったマッカーサーは、日本軍の比島侵攻に対して

オロオロするばかりで、丸半日も何も対処しない無能ぶりを露呈し

(まるで阪神淡路大震災時の社民党ボケカス総理マユG村山です)、

あげくの果ては部下を見捨てて、自分の家族と比島人大統領ケソン

(日本側に付かないように拘束したわけ)を連れてオーストラリアに

逃げのびたのです。完敗して逃亡という、マ元帥の軍歴における

最大の恥辱ですよ。そのとき比島を攻略した日本軍の司令官は

本田雅晴中将で、約3年半のちの戦後すぐマ元帥は本田中将を

逮捕し、捕虜虐待の罪などを無理やり着せて戦犯としてマニラで

銃殺してます。これはマ元帥の私怨による私刑だといわれてます。

さらに大戦末期、マ元帥は比島奪還をめざして米軍を比島で

指揮してましたが、山下奉文大将(大英帝国のアジア最大基地

シンガポールを開戦序盤に短期間で陥落させた名将)指揮下の

日本軍が粘り強く戦い、8/15の終戦時点で米軍は比島の中心たる

ルソン島の平定すら未完了という状態でした。そもそも山下大将は

民間比島人マニラ市民に犠牲者が増えることを避けて、市街戦から

山岳戦にシフト替えしたにもかかわらず、その空気も読めん米軍は

マニラ市街地に対して過度の空襲と艦砲射撃を繰り返し、比島市民に

10万人もの無駄な犠牲を強いたのです。これ全部マ元帥の責任。

マ元帥こそ比島の一般市民によって吊るされるべき戦犯ですよ

(基本、ヤンキー共は有色人種を全く人間扱いしてなかったのです。

今の日本の平和維持のために米国は最重要な同盟国なので一応、

過去形にはしておきましたw)。比島全島奪還後に日本の降伏を

迎えたかったマ元帥にとって、それが叶わなかったのは、これまた

恥辱ですよ(ルバング島で小野田少尉が武装潜伏してる限りはw

不可能な話だったとも言えますけどねw)。8/15以降に日本本国から

停戦・武装解除の命をうけた山下大将は抵抗をやめて投降。

するとマ元帥の命により山下大将は通常の捕虜ではなく

最初から戦犯として逮捕され、市民虐殺だの捕虜虐待だのの冤罪を

きせられ、マニラで絞首刑に処されました。軍服着用での銃殺

ではなく、あえて囚人服姿での絞首刑で、それはマ元帥が山下大将

の軍人としての名誉を完全否定した醜い仕打ちであり、この処刑も

明らかにマ元帥の私怨による私刑だといわれてます。

マッカーサーの父親も軍人で在比米軍司令官でした。フィリピン独立

の反乱(米比戦争,1899~1902)がおきると、マッカーサー父は

婦女子を含む比島住民を30万人~100万人虐殺したのです。

レイテ島など島民全員皆殺しですよ。そんな父親を持つだけの

ことはあって、基本ロクでもない息子のマ元帥も、日本に6年も

いる間に色々と真実を知り、「日本がおこした戦争は侵略ではなく

自衛戦争だった。石油等資源を全て止められ、国家存亡の危機となり、

やむをえず戦争に至った。日米開戦の責任は米国にある」と

終戦6年後に米国上院で公言。このことは、皇室を存続させた事と、

食糧難の戦後日本に食糧支援した事に並び賞されるべき行為です。

全否定も全肯定も可能な人間など、そうそう存在しませんよ。

財閥解体と農地解放については今回は論評を控えます。

 皇紀2605(昭和20)年8月15日は日本がその2605年の歴史の中で

初めて国家全体で外国軍に屈することを決めたという最悪な日です

が、国民一同は天皇陛下の御身を案じ、昭和天皇は国民全員の身を

ご案じになられたという、世界に類を見ない心の日でもあったのです。

しかし、大量虐殺魔のサヨク独裁者ヨシフ・スターリン指揮下の

掠奪強姦虐殺集団ロスケ赤軍のせいで、8月15日以降も戦闘は続き、

日本の将兵のみならず婦女子にいたる民間人に死者が沢山でました。

日米開戦前の1941(昭和16)年4月に日本とソ連の間で締結された

「日ソ中立条約」(日ソは互いを攻撃しない約束)をソ連は

1945(昭和20)年8月8日(広島原爆の二日後)、一方的に破棄を

宣言し、翌8月9日(長崎原爆の日)、ソ連軍は日本の友邦・満州国と、

日本領だった南樺太に越境侵攻を開始。8月15日以降もソ連軍は

日本の事実上の降伏宣言であるポツダム宣言受諾声明を無視して

満州~朝鮮北部と南樺太への軍事侵攻を継続して占領地を拡大。

ソ連兵は満州朝鮮樺太の日本人家屋のほぼすべてで略奪を働き、

日本女性を手当たり次第に強姦し、避難民と化した民間日本人の

行列に機銃掃射をあびせたうえで、戦車で轢きまくったのです。

それが貧しい万民を救うはずの共産主義国家の、軍隊の実態です。

万国の労働者の結束を謳ったコミンテルンの本拠地ソヴィエトの

指導者ヨシフ・スターリン閣下ひきいるロスケ赤軍の本性なのです。

満州・樺太の日本軍は8月15日までは劣勢ながらも、

新装備の大軍で押し寄せるソ連軍に果敢に抵抗を挑みましたが

ソ連の侵攻を食い止めることはできず、さらに8月15日以降には

日本本国からは日本軍に停戦と武装解除の命令も届き、混乱の中、

一方的にソ連軍に侵略と暴行略奪を許すことにもなったわけです。

満洲・樺太・朝鮮・千島(後述)で武装解除されソ連軍の捕虜となった

日本軍将兵軍属(諸説ありますが計70万~100万人)のほとんどは

シベリアや中央アジアに連行され、2年~11年も過酷な強制労働を

課せられ、諸説ありますが30万~40万人の日本人が、故国に

帰ることなく、ソ連領のシベリアや中央アジアで病死・衰弱死

させられたのです。これがいわゆる“シベリア抑留”です。

抑留中の日本人は肉体労働させられつつ、共産主義洗脳も受け、

赤化したと見なされた者から順に、日本への帰国が許されました。

アカに染まったフリをして早めに帰国できた人もいれば、本気で

左翼になってしまい、帰国するやいなや労働運動や社会主義活動を

率先して行い、戦後日本の共産党や社会党の躍進に協力するような、

ソ連の思惑通りの洗脳被害者も多数存在したようです。

そういう洗脳帰還者サヨクが少なくとも数万人いたわけで、

その人らを親に持ち、親の思想・意見に反抗もせず、疑問も持たずに

オトナになったような“優秀な”子供達が、いまだ朝日新聞を購読し、

NHK報道は公平公正だと信じ、反安部デモや反基地デモに

参加してる老害サヨクの一角を、いまだに占めてるわけですよ。

すでに滅んだとはいえ、ソビエトの対日赤化戦略おそるべし。

 ところで、北海道の東からカムチャッカ半島の南まで連なる

千島列島(ちしま。露名はクリル諸島)は、日露戦争(1904年)を

遡ること29年も前の1875(明治8)年に、日露間で平和的に結ばれた

「千島樺太交換条約」で、全島が日本領に確定した島々です。

当時の明治政府は、アイヌ・日本人・ロシア人の3民族が混在したまま

国境線も未定だった樺太(からふと。露名サハリン)の領有権を放棄し、

樺太すべてをロシア領だと認めるかわりに、千島列島はその最北端の

占守島(シュムシュとう)まで全島すべてが日本領だということを

ロシアに認めさせたのです。その後、日露戦争の勝利により、

樺太の南半分は日本領となりましたが、千島列島は1875年以来

ずっと全島が日本領のままで、千島樺太交換条約から70年後の

1945(昭和20)年、“終戦”から3日も後の8月18日、日ソ国境の

島である千島列島最北端の占守島(シュムシュとう)に、ソ連軍が

砲爆撃後、上陸侵攻したのです。占守島の日本軍守備隊は、

札幌にいる同方面の司令官(※註4)から防衛戦闘の命をうけ、

戦車も有する日本軍はロスケ上陸部隊に対して猛攻を開始。

4日間に渡る戦闘で、侵略者ロスケ赤軍に死傷者多数の大損害を

与えました。実は千島列島から北海道東部まで一気に占領する

つもりだったスターリンの北海道侵攻計画は、占守島守備隊のこの

大奮戦によって計画そのものが大きく狂い、頓挫したのです。

もしシュムシュ島守備隊が無抵抗で降伏していたら一気に北海道の

東部までロスケに占領されてたはずです。根室・釧路・網走・北見

あたりの年頃の女性は皆ロスケに犯され、抵抗する者はその場で

老若男女とわずPPSh(バラライカ銃/マンドリン銃)で射殺され、

働ける男は全員シベリア送りですよ。そうならなかったのも

“終戦後”に攻めてくる卑劣なソビエト赤軍に対して果敢に戦った

占守島守備隊のおかげだということを日本国民全員認知すべき。

占守島守備隊には激闘4日目に停戦命令が東京から届き、

ソ連軍に対して優勢なまま投降して武装解除。すると

想定外の戦死者を出し、作戦に4日も遅れを出したロスケは、

武装解除した丸腰の日本兵多数を虐殺。そして生存捕虜を全員

シベリアに送ったのです。そんなことなら停戦命令など無視して

弾尽き刃折れるまで徹底的にロスケ侵略者を退治してた方が

マシだったと思う方も多いでしょうが、そこが軍律きびしき皇軍で、

上からの命令には絶対服従ですよ。米国政府から日本政府に

停戦の徹底=対ソ戦闘中止の要請も出たことと思われます。

そのかわり米軍は、ソ連に北海道まで侵攻されぬよう、

米軍の北海道進駐予定は早めてます。

千島侵略緒戦で思わぬ抵抗にあった侵略者ヨシフ・スターリンですが

この後9月5日に千島全島の占領を完了して軍事行動をやっと停止。

9月2日に日本は降伏調印してるのに、その3日後までソ連軍は

日本領に対する軍事侵攻を継続してたわけ。8月15日から数えたら

丸3週間もですよ。血に飢えた赤軍の首領ヨシフ・スターリン 氏ね。

あっ、とっくにクタばってたか。なら狂惨主義国家ソ連 市ね。

あっ、とっくにこっちも滅亡してたなwww

今の反日3害国(中朝韓)が滅びて、大陸と半島が新しい親日政府に

統治される、その日がくるまで、凶国ロシアとは表面的には

仲良くしとかないとねw。そのあとで千島は取り戻すべき。

ワタクシ個人は北方領土4島返還運動はマチガイだと思います。

歯舞諸島から占守島までの千島列島全島返還運動が正しいはず。

そもそも最初から4島だけ返してくれとか言ってたら、

歯舞と色丹の2島なら...程度にしか落としどころは決まらないわけで、

それが千島列島全島返せ!と言ってれば、国後までならなんとか...

択捉は共同管理の非武装地帯でならなんとか...って日露間の交渉の

落としどころも変わってくるでしょ。最初から4島のみ限定の

返還要求なんてオヒトヨシではダメですよ。今の中華共産帝国が

滅亡したら、そのタイミングで今更でもロシアには占守島までの

千島列島全島返還要求を出すべきです。もちろん見返りは経済支援。

で結果、国後までの3島でもカネで取り返せたら御の字ですよ。


※註1:ミズーリは米国海軍で最後に就役(1944年)した戦艦で、

大東亜戦争末期に日本各地を艦砲射撃。朝鮮戦争にも参加し、

その後いちど退役するも改装(トマホーク等ミサイル搭載)後に

復役して湾岸戦争に参加。世界で最後の戦艦による実戦での

艦砲射撃をイラク軍に対して実施。その後退役して現在は

ハワイの真珠湾に艦内見学可能な記念艦として停泊。

かとおもいきや、地球襲来エイリアンに対して急遽復役して

戦艦ミズーリがエイリアン撃退に貢献、てのが2012年の

ハリウッド感まるだし米国映画「バトルシップ」ですよ。

ワタクシは先月やっとケーブル放送で今ごろ初鑑賞。しっかし

軍隊的に不自然すぎ/ありえん事だらけで、つっこみ処満載の最早

お笑い映画でしたが、浅野忠信演じる海自護衛艦みょうこう艦長の

一等海佐がシナリオ的になかなかイイ役どころで、今の日米同盟での

両海軍の連携ぶりは非常に良くアピールされてる映画なので、

中共と北鮮でも是非ロングラン上映してほしいかもwww。

習キンピラと黒でんわブタの御両人に大リコメンド映画ですw。

日本の立共社国由の亡国5党の反自衛隊の売国政治屋どもにも推奨。

しっかしその映画、脚本/演出/美術/監督あたりの複数が日本の

アニメ「ストライク・ウィッチーズ」みてそ。映画バトルシップでの

エイリアンの巨艦が、アニメ・スト魔女のネウロイ母艦くりそつ。

※註2:WWⅡ欧州戦線、イタリア王国は日独より2年も早い

1943年にムソリーニ首相を失脚させて米英に降伏したのですが、

ムソリーニ率いるファシスト党はイタリアのほぼ北半分をSRI

(イタリア社会共和国。蔑称・サロ共和国)の名で分離独立宣言。

SRIは数個師団を編成し、新兵はドイツで訓練をうけ、独軍から

武器弾薬装備の支給を受け、イタリア北部で独軍と共に

1945年4月下旬まで連合軍に抗戦。1943年の降伏後のイタリアは

連合軍側のパルチザンと独軍側のSRI軍に国民が二分して戦っていた

のです。SRI軍はファシスト党員の志願兵が中心で士気は高く

ヘタリアwではなかったようで連合軍を何度も撃退し、勇敢に

戦ったようです。が、戦後~現在のイタリアでは触れられたくない

マイナスの歴史として、SRIは多くを語られない存在な模様。

ドイツで最後まで戦っていた独軍の中には、反共・嫌ソの信条から

武装SS外人部隊に参加した欧州各国の出身者も少なからず

混じってた模様。ドイツ敗色が濃厚になっても連合軍にすでに

“解放”されてる祖国に帰れば裏切り者として処刑されるだけなので

帰るに帰れず、結局1945年4~5月のベルリンやプラハまで戦い、

戦死した外人武装SS兵士も多い模様。外人武装SS志願兵には

デンマーク~ノルウェー、オランダ~ベルギーといったドイツ軍

占領国からだけでなく、スウェーデンやスペインといった中立国

からも参加してます。フランス人やロシア人の部隊までありました。

ムスリム(ボスニア人)の部隊もありました。あっ、武装SSとは

ナチ武装親衛隊です。元来は総統警護を目的として結成された

ナチ親衛隊(SS)から、完全に陸軍規模の装備・戦闘力を持つように

編成されたのがナチ武装親衛隊(Waffen-SS)です。その武装SSは

国家の正規軍(ドイツ国防軍。徴兵で成立)の陸軍とは別に存在する、

ナチ党が所有する陸軍組織で、全員志願兵です。やがて武装SSは

兵力を補うために欧州各国で志願兵を募集。反共・嫌ソの若者らが

実は欧州各国から武装SSに志願し、参戦したのです。

これも欧州各国があまり触れたがらない負の歴史にされてますね。

5月8日がVGデーじゃなくVEデーなのが、なんとなくわかります。

そもそも第二次大戦は日独伊3国同盟対連合国の印象が強いですが、

欧州の枢軸国(独伊側)にはハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、

フィンランドも参加してソ連と戦ってます。その4国のうち

ハンガリー(親ソ反独クーデターに失敗し、結局最後まで独側で

対ソ抗戦)以外の3国はすべて1944年にソ連に降伏すると同時に

ドイツに宣戦布告して、1945年の終戦を連合国側で迎えてますが、

連合国(=United Nations=日本で言う“国連”)とは認められず、

国連に原加盟国としての参加も許されませんでした。

日独伊と上記4国の計7国は、いまだ国連敵国条項の対象国です。

73年も前の戦勝5大国(米・英・仏・ソ連・中華民国)の権限がいまだに

強大で、逆に日独伊洪羅勃芬の敗戦7国をいまだ敵国扱いしてる

“連合国”(日本で言う国連)など、もう解体して新機構を作るべき。

そもそも今のロシアと中共は73年前のソ連と中華民国とは別国家の

別政府なのに、常任理事国のままとか絶対おかしいでしょ。

国連での反日ロビー活動にカネを使ってる中共と韓国の言いなりに

なって歴史的事実に反する虚構を元に日本を糾弾する場面の多い

国連になど日本は金輪際ビタ一文、負担金を払う必要はありません。

国連は、国際平和と人権を脅かす中共や北鮮の所業を何ひとつ

止められない情けない機関なので、もはやホントに無用です。

※註3:日本の終戦直後の食糧難を知りつつ米国大統領トルーマンは

本気で日本人を大量餓死させるために日本への食糧輸出を

禁じていたのです。日本が二度と白人世界の脅威にならないよう、

この機に放置して日本人を大幅に減らそうと考えたわけです。しかし

日本占領軍総司令官マッカーサーはトルーマンの意向を無視して、

米国から日本に大量の食糧援助(主に小麦粉)を実施しました。

日本から遠く離れた米国東海岸にいるトルーマンは、日本で

餓死者が増えたりしたら親ソ左翼が暴動を起こして社会主義革命に

直結する危険性もあることを、日本にいるマ元帥のようには

感知できなくて、そんな日本人削減計画を本気で考えてた模様。

さらにマ元帥にしてみれば、昭和天皇ご本人から直接

「自分は死刑でもよいから、日本国民に食糧援助を」と言われた

ことも小麦粉緊急援助に踏み切った動機としては大きいはず。

しかし、それにしても大統領のトルーマンですよ。日本に2発も

原爆おとす命令を出したのみならず、日本人大量餓死作戦を

本気で計画してたクソ大統領ハリー・トルーマン 氏ね。

とっくにクタばってるけどさ。トルーマンこそが最悪の“永久”戦犯。

もちろん、トルーマンの先代大統領で、対日ABCD包囲網を築き、

対日石油禁輸と、米国での日本人資産凍結を強行し、ハルノートを

つきつけて日本を対米英開戦せざるをえないように仕向けた、

日米開戦の張本人 フランクリン・ルーズベルトも、超“永久”戦犯です。

さらにロスケ赤軍という掠奪強姦匪賊の頭目にして、世界のアカの

トップに君臨した大虐殺魔ヨシフ・スターリンも、超“永久”戦犯です。

※註4:8/15以降にもかかわらず占守島守備隊に防衛戦闘命令を

札幌から出した、終戦時の北方方面の陸軍司令官は樋口季一郎中将。

それ以前の満洲に赴任してた頃、樋口キイチロウがユダヤ難民を

救った話など当blogでも過去に紹介してますが、どこに書いたか

忘れたのでwウィキペです↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%AD%A3%E4%B8%80%E9%83%8E


他人様up推奨ツべ
大東亜戦争を戦った日本に対する世界各国要人の声↓
https://www.youtube.com/watch?v=apPZLLGbQIM&t=331s


この夏、初めて栃木県にある那須戦争博物館を見学しました。

館長の収集品と寄贈品からなる1個人が開設した博物館です。

館長は陸軍獣医として満州で従軍。シベリア抑留帰還者です。

もちろんアカ洗脳など跳ね除けた質実剛健たる日本男児の鏡です。

帝国陸海軍軍歌演奏会を長年にわたり主宰されてましたが

御年すでに90代で最近は体調をくずされ、今年は軍歌会は

開催しないとのこと。同博物館は老朽化もすすみ、

新館建設と展示品再編のリニューアルが期待されます。

財力とアイデアのある有志の方、ぜひリニューアルに

ご協力下さい。ワタクシは全くの部外者ですので

こんな事をここでお願いするのも変なのですが、

帝国陸海軍の遺品の数々を後世に残していただきたい

との思いだけです。靖國神社には遊就館があります。

遊就館とは、また異なるアプローチでの新展示を期待いたします。