本日は親日国インドネシアが独立宣言してから
丁度70年にあたる日です。バンザイ!
1941(昭和16/皇紀2601)年、日本は米英蘭から対日全面禁輸という
苛烈きわまりない経済攻撃(石油等の資源供給の完全遮断)をうけ、
そのままでは諸産業崩壊による経済破綻と軍備無力化は必至という
国家存亡の危機に瀕したため、同年12月、石油等の資源を得るために
やむをえず米英蘭との開戦を決意。まず12月8日に米英に宣戦布告。
日本としては蘭印(オランダ領東インド、=インドネシアのこと)の
各地にある油田を無傷なまま無血占領したかったため、
在ロンドンのオランダ亡命政府(オランダ本国はドイツ占領下)に
日本軍の無血進駐を打診するも拒否されたため後日オランダとも開戦。
1942(昭和17/皇紀2602)年1月、日本軍は蘭印に侵攻。3月には
蘭印の連合軍を降伏させ、開戦の主目的でもある油田確保にも成功。
17世紀の植民地化以来、インドネシア人を家畜扱いしてきたオランダ人
とは異なり、日本人はインドネシア人をアジアの同朋として処遇。
オランダによって軟禁されていたスカルノ(後の初代大統領。
第三夫人がデビ夫人)や、ハッタ(初代副大統領。今もジャカルタ郊外の
「スカルノ・ハッタ国際空港」に名を残す)ら民族主義独立運動家を解放。
将来のインドネシア独立も約束し、日本軍はインドネシアの青年に
軍事教練も実施し、インドネシア民族軍(郷土防衛義勇軍)
「PETA」を創設。これは互いの信頼あればこそ。
しかし戦局は悪化し、ついに1945(昭和20/皇紀2605)年8月15日、
日本は連合国に降伏を表明。この時点ではまだインドネシアに
連合軍は未侵攻。日本軍の武装解除~引き揚げ後に再び
オランダによって再植民地化されることを恐れたスカルノらは
2日後の、今から70年前の今日 8月17日に
インドネシアの独立を宣言。しかしオランダはそれを認めず、
派遣されたオランダ軍(およびそれを支援するイギリス軍)と
インドネシア独立義勇軍との間で戦闘が勃発。
独立義勇軍は、大戦中に日本軍指導で編成されていた上述の
「ペタ」で訓練された義勇兵が中心となり、日本軍の武装解除後は
倉庫保管されていた旧・日本軍の武器を手にとり、
オランダ軍(&イギリス軍)を相手に独立戦争を展開。
1949年12月、オランダはついにインドネシア独立を承認し、
独立戦争は終了。その4年強に及ぶインドネシア独立戦争には
1945年に連合国に降伏したはずの日本軍将兵および軍属
計2~3千人が、日本に帰国することなくそのまま
インドネシア独立義勇軍に志願して参戦。そして約千人が戦死。
侵略などではなく、白人植民地主義からのアジア解放という
大東亜戦争の大義名分を、敗戦後にもなお身をもって
示した日本人たちが実在したということを未来永劫、
われわれ日本人は記憶にとどめましょう。
そんな、インドネシア独立のためにインドネシア人と共に戦い、
インドネシアの土となった日本人たち(戦死したインドネシア人と
共にインドネシア国軍墓地に、独立の英雄として葬られてます)を
描いた映画が「ムルデカ17805」です。
2001年・東京映像制作,監督:藤由紀夫,
出演:山田純大,保坂尚輝,六平直政,ムハマド・イクバル,ローラ・アマリア,津川雅彦...
ムルデカ(MERDEKA)とはインドネシア語で「独立」です。
17805 とは、独立宣言文にスカルノが記した独立宣言の日付、
すなわち 17日/8月/05年 のことです。05年とは皇紀2605年です。
スカルノは日本への感謝を込めて、独立宣言文に記した年月日に
日本の皇紀を用いたのです!。ちなみに今年は皇紀2675年ですよ。
そういえば15年前、世間ではミレニアムとかいって浮かれて
やたら2000年! 二千年!と騒いでて、「平成12年」の影が
薄かったwとき、反発心から年賀メールに「2660年元日」とあえて
皇紀で書いてたんだけど、「2660年じゃないよ、2000年だよ」
なんてマジレスしてくる者もいて、その者は西洋人でもなけりゃ
キリスト教徒でもないのに、ほんとガッカリのガックリでした。
日本人および日本在住の人は皇紀という暦があることくらいは
覚えときましょうね。
皇室初代の神武(ジンム)天皇が即位された年が皇紀元年です。
記紀の神話の世界のハナシですけどね。
西暦に660プラスすれば皇紀です。
西暦1940(昭和15)年が皇紀2600年でした。
ちなみにゼロ戦(零式艦上戦闘機)は2600年式、
百式司偵(一○○式司令部偵察機)も2600年式、
九九式艦上爆撃機は2599年式、一式陸上攻撃機は2601年式、
九七式軽装甲車は2597年式、三式中戦車は2603年式
という意味なのです。ゼロ戦の何がゼロだか覚えときませう。
ハナシを映画「ムルデカ17805」に戻しますが、
日本はアジアを侵略した、謝罪しろ、賠償しろ、とウルサい人たちにも
ぜひ見てもらいたい映画です。この映画を見れば、大東亜戦争が
日本の侵略戦争などではなかったということが理解できるはずです。
文科省は全国の高校に3年に1度は必ずこの映画の上映会を開くことを
義務づけるべきですよwマジ。猛反対するのは反日アカ教師で
そのアブリ出しもできるしねw。
大東亜戦争とは英仏米蘭の白人による植民地支配から
東南アジア諸国を日本軍が一時的にしろ解放したという
側面のある戦争でした。大戦後のアジア・アフリカ諸国の
独立運動につながるキッカケを日本軍が作ったのです。
インドネシアだけでなく、大戦後に独立を果たした
東南アジア~南アジア諸国の、当時のリーダーの大多数が
日本軍への感謝の言葉を残してますし、
東南アジア~南アジアの大多数の国の国民の大半が今も親日派です。
帝国海軍による真珠湾攻撃の同日、帝国陸軍は
英国領だったマレー半島に上陸し、英国軍を蹴散らしながら
同半島を縦断してシンガポールをめざす作戦を開始しました。
そんな大東亜戦争緒戦で日本が最初に「侵略」して「蹂躙」したはずの
マレーシアですが、現代のマレーシア国民の8割強が、
アンケートで日本"大好き"と答えてます。
ホントに日本軍がマレーを"侵略"して"蹂躙"してたら、
この数字はありえないでしょう。日本軍がマレーで行ったのは
侵略でも蹂躙でもなく「白人支配からの解放」だったのです。
これはビルマ(現ミャンマー)でも同じです。
朝日毎日東京新聞・NHKテレ朝TBSといった左巻マスコミや、
共産・社民・民主・生活・公明といった反日政党がよく
「日本はアジア諸国の声をよく聞いて過去の侵略を反省し謝罪すべき」
などと言いますが、アジア諸国の声をよくよく聞いたら、
「植民地支配者の白人を追い出してくれてありがとう」、
「日本軍を見て、アジア人でも欧米人と十分戦えるとわかり、
独立する勇気をもらえた」という日本軍への感謝の声のほうが
圧倒的に多いわけですよ。
日本の左巻マスコミと反日政党のいう"アジア"とは、
中朝韓の反日3国のことで、アジア全体のことではありません。
そんな偏った左巻マスコミや反日政党による
反日偏向報道・反日印象操作・反日主張に惑わされてはいけません。
大戦10年後の1955年、インドネシアのバンドンで開かれた
「バンドン会議」(アジア・アフリカ会議/AA会議。
世界初の非白人国家だけでの国際会議)に参加した
インド、セイロン(現スリランカ)、エジプト等、アジア・アフリカの
29ヶ国の代表者たちは、みな口々に、日本が第二次世界大戦で
大きな犠牲を払いながら白人の植民地主義国家群と戦ってくれたことを
大いに評価し、日本に感謝の言葉を伝えたのです。
戦後10年目のことです。これは戦争賛美ではありません。
歴史の真実の1側面です。
日教組や全教の左巻教師の皆さん、生徒にちゃんと事実を教えましょうね。
皇軍萬歳!
追伸:映画「ムルデカ17805」の5分間ダイジェストといってもよい、
見知らぬ他人様UPのヨウツベ動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=doPlKvTdIbA
ついでにこちらの見知らぬ他人様UPヨウツベ動画もどうぞ↓
https://www.youtube.com/watch?v=yxaVfoh5VQg