岩隈久志(イワクマ ヒサシ、略称クマ。堀越→近鉄→楽天→シアトル)が
米国時間で8/18、日米通算150勝を達成、バンザイ!
ってそれもいいけど、やっぱ6日前(8/12)の
ノーヒットノーラン達成でしょ。バンザイ!万才!萬歳!
(三唱してみたw)
実は岩隈がノーヒッターとなった5~6日前は
ちょっと当ブログに投稿する時間的余裕がなかったんだけど、
ニュースみたら岩隈の次回登板には日米通算150勝がかかってると
わかったので、なら、5~6日後に150勝してから
投稿しようと思ってたら、7回2失点の好投ですんなり達成という、
この見事な予定調和ぶりwも万才!
岩隈のイメージは救世主だね。2001年、近鉄が最後に
優勝した年だけど、そのシーズンの近鉄は際立って打高投低で、
投手陣崩壊寸前のところで突如あらわれ近鉄を救った
高卒2年目の若武者投手が岩隈だったよ。
ボークぎりぎり?の2段モーションから
キレのある球をコーナーに投げこむ
背番号48(近鉄4年目~楽天時代は背番号21)。
そのシーズン終盤には岩隈は、しっかりローテーションの一角を堅持。
その年は9登板の4勝ながら、しっかり近鉄最後の優勝に大貢献。
日シリにも先発出場。その優勝翌年のバファローズ・カレンダーでの
岩隈↓(たまたま右に写ってる古久保よか捕手は的山が多かったかな)
IWAKUMA Hisashi Osaka Kintetsu Buffaloes 2000-2004 |
そんな岩隈が鮮烈デビュー&優勝に貢献した2001年に、
野茂英雄(1990~1994年に近鉄のエース)はボストンRedSoxで
自身メジャー2度目となるノーヒットノーランを達成
(1度目はメジャー2年目、ロサンゼルスDodgers時代の1996年)。
新旧の近鉄エースのこの2人、無関係なようで、やはりどこかで
繋がってもないwのかもしれないけど、今のところMLBにおける
日本人ノーヒッターは野茂(2度)と岩隈の2投手のみで、
両人ともex「近鉄Buffaloesのエース」。あっぱれ萬歳!
ex近鉄バファローズの1ファンとして両人を誇りに思います。
たまたまウチに保存してあった野茂の2度目のノーヒッター
を伝える新聞(2001)↓
当時は、巨人嫌いの自分としては読売系スポーツ紙の報知だけは
放置して買うことがなく、他紙の中から希望する記事が1面扱いかどうか、
さらにはその写真の出来不出来で購入紙を選んでた記憶。
このシーズンはイチローがオリックスBWからシアトルMに移籍しての
メジャー初年。一方の野茂は平成日本人メジャーリーガーのパイオニア
だったにもかかわらず、数球団を渡り歩いた末のメジャー7年目で、
イチローの陰に隠れ、影の薄い存在になりかけてたところでの
"オレのこと忘れてないか?"的な2度目のノーヒッター。
カッコよすぎw。ちなみに、個性あふれるトルネード投法の野茂の
その個性を潰すことなく開花させた近鉄監督は故・仰木彬
(オオギ アキラ)さんです。さらにその数年後、個性あふれる振り子打法の
イチローのその個性を潰すことなく開花させたオリックス監督も
同じ仰木さんです。そんな名将・仰木さんは
オリックスBlueWave監督時代に近鉄投手・岩隈のことを、
オリックスBuffaloes監督時代には楽天投手・岩隈のことを
敵将の立場から見てるはずですが、どういう印象だったんでしょうね~。
仰木さんのことなのできっと、これくらい必ずやる投手だと
見抜いてたことでしょう。
しかしオレ個人としては、クマがシーズンオフに
故?・池田大作氏に直接あって成績報告をするような創禍学懐員だった
ってことを知ったときは「そうか、ガッカリ」でしたねw