戦後最大の犠牲者を出した災害といえばもちろん
2011(H23)年の東日本大震災(死者行方不明者合計18,466名)
なわけですが、それ以前は
1995(H7)年の阪神淡路大震災(同6,437名)、さらにそれ以前は
1959(S34)年の伊勢湾台風(同5,098名)でした。
1959年9月26日18時、超大型の台風15号(国際名Vera)が
紀伊半島に上陸。その強い低気圧と暴風によって伊勢湾に発生した
5m超の巨大な高潮により愛知県西部~三重県北部の
海岸部の堤防(平均3m台)が次々と決壊。
海抜0m~マイナス地帯(地盤沈下エリアと元からの干拓地)
が広がる名古屋から桑名にかけての臨海地域(そもそも江戸時代の
東海道も「宮」(熱田神宮前)~「桑名」間は水路「七里の渡し」で、
陸路を避けたほどの水郷低地帯)に、
夜間(それも暴風雨による停電時)、突如として海水が
なだれ込み(名古屋港の貯木場からは大量の巨大な材木が
高潮で押し流されて住宅地を直撃)、
昭和34年当時で戦後最大の災害犠牲者を出す台風となりました。
わたくしはその伊勢湾台風の被災地(水没エリア)で育ちました。
といっても同台風の3年後の生まれなので、物心ついた頃には
既に同台風の爪痕は全く何も残ってませんでしたが、
学校や公共施設のあちこちに伊勢湾台風被災当時の写真が
よく掲示されてました。その写真の多くに
ボート、ヘリコプター、トラックで被災者を救助・救援する
自衛隊が写っており、ガキ心ながら自衛隊をリスペクトするように
なりました。昭和40年代のハナシです。
当時は左翼かぶれの勘違い学生が、ゲバ棒片手に「安保反対!」
「佐藤栄作(B作ちゃいまんでw)は首相やめろ!」などと
デモでわめいてた時代ですよ。
40数年たった今も日本はたいして変わりばえしませんねぇw。
国防問題を現実的に捉えようとしない亡国お花畑に住むバグが
いつの世でもうるさく飛び回ってるようです。
まぁそういうバグの群れ(8/30国会前には、警察発表で3万3千、
産経新聞独自集計で3万2千。なのにバグ側の自称動員数は12万!
・・・さすがバグ、数をかぞえるのに4倍ちかくも誤差が出る、
ヒビ割れドンブリ脳、お見事w) が、
ゴキジェットでシューもされずwブンブン自由に蠢いてられる
ということは、それだけ日本は言論の自由のある民主国家だという
証ではありますw。
自衛隊は憲法違反だから武装を放棄して解散すべきだと主張し
自衛隊の存在そのものを否定するような個人は、
災害時にも自衛隊の救助・救援は個人的にお断りください。
緊急事態にヘリコプターで救出してもらうなんてもってのほか。
オニギリ1個もらうなよ。自衛隊を否定してんなら当然でしょ。
それがスジというもの。しかし、そんなアンチ自衛隊のヤカラでも
差別も区別もすることなく同じ日本国民として等しく救助・救援
するのが自衛隊だそうです。
さすが現代の武士道集団、21世紀のモノノフ軍団バンザイ!
本日は関東大震災92周年の防災の日ということで、
個人的な防災訓練?として、大災害時の非常食として
買い置きしてある自衛隊の携帯食(戦闘糧食)の
調理訓練wを実施。以前、陸自の朝霞駐屯地の広報センターを
見学した際に、そこの売店で購入しておいた、
防衛糧食・陸型Ⅰ(カレーライス)、同・陸型Ⅱ(牛丼)、
同・陸型Ⅲ(シチュー&ライス)の3種の中から、
賞味期限の一番近かったシチュー&ライスが本日のメニュー。
熱源いらずの戦闘糧食!! これだけで、あつあつのシチュー&ライスが食べられます (能書原文ママ) |
パックの中身すべて見せます 下段右はレンゲ&紙ナプキン |
発熱剤(袋入り粉末)+発熱溶液(液体)で沸騰!! 外袋が飯盒がわり。無炎で30分加熱調理 |
♪ 1中隊と2中隊はまだメシ喰わん 3中隊はもう喰って食器上げた~