2019/05/23

令和元年の近鉄西武戦

まいど、ダビス・Kintetsu狂です。ひとくちに近鉄といっても

電車、バス、タクシー、物流、百貨店、ラグビーその他ありますが、

15年前まで存在したプロ野球チームですよ。その近鉄バファローズの

昭和最終シーズン(1988年)といえば、あの10.19川崎場ですよ。

近鉄が残り2試合を全勝すれば西武ライオンズに対して

逆転優勝となる、対ロッテオリオンズ戦ダブルヘッダー@川崎球場

ですよ。普段は閑古鳥が鳴いていたロッテの本拠・川崎が

この日ばかりは立ち見も出る超満員。当時の近鉄を率いたのは、

この数年のちに変則投げの野茂や、変則打ちのイチローを潰さずに

大成させた名監督としても、酒好きで女好きとしても名高いw

故・仰木彬さん(オオギアキラ。現役時代は西ライオンズの6番セカンド。

監督としては近鉄で1度、オリックスで2度優勝(うち日本一1度))ですよ。

第1試合は、この年限りで引退を決めていた梨田の代打タイムリー

などで勝利。続く第2試合には吹石徳一(女優・吹石一恵の父)や

真喜志らの一発で一時はリードするも、エース阿波野の連投みのらず、

当時の規定による時間切れ引き分けとなり、半歩およばずの2位。

そして翌年のパリーグ平成元年シーズン(1989年)も近鉄は終盤に

西武とデッドヒートを展開。西武が残り2試合で1つ勝てば優勝

ということで迎えた、西武近鉄ダブルヘッダー@西武球場。

西武球団は優勝祝賀会&ビールかけの準備万端を整えていた

にもかかわらず、それらを全て台無しにしてくれた男が

近鉄4番DHラルフ・ブライアントですよ。ダブルヘッダーの両試合に

またがる4打数連続ホームラン(途中1敬遠)で、既にV気分だった

レオ軍団を木端微塵に粉砕し、猛牛軍団が連勝して逆大手。

残り試合(最終戦)のダイエーホークス戦にもあっさり勝って近鉄は

前年の雪辱を見事に晴らす大逆転優勝劇を演じたのでした。

その勢いで臨んだ平成元年の日本シリーズは、読売G相手に3連勝

の後、4連敗で敗退。勝っても負けても劇的なのが猛牛軍団ですよ。

そして時代は令和元年。先週末おこなわれた近鉄3連戦(オリックスによる

近鉄復刻ユニ試合)@大阪ドームの相手は西武。ワタクシの観戦試合は

先発・鈴木啓示ならぬK-鈴木の粘投により近鉄が見事勝利。

試合終了後には球団歌「近鉄バファローズの歌」と

応援歌「炎えろ!近鉄バファローズ」の両曲が続けてフルコーラスで

ドーム内に響き渡り、阪急Braves~オリックスBlueWave以来の

オリックスBuffaloesファンの生暖か~い視線を感じつつw

往年の近鉄Buffaloesファン全員でシンガロン!

♪...飛ばせ雲までボールよ届け~

♪...大阪城の空高く、聞け百万の歓呼沸く~


この日の試合後には、ハルカスふもとの阿部野橋駅から

近鉄南大阪線に乗って往年の近鉄本拠地・藤井寺へ。

藤井寺球場跡地(現・私立高校)に建つ球場記念碑↓


この記念碑はモノのついでに見ただけでして、お目当ては

元近鉄のK選手(昭和50年代の5番レフト。通算本塁打215本)が

オーナーでマスターのスナックS。

一度は行ってみようと、在阪の牛友と以前から話題にはしてた店。

地理的なことと営業時間的にドームからならデーゲームの帰りに

2軒目としていくのがベスト。なので大正駅から環状線に乗って

天王寺で降り、安呑み屋に1軒寄ってから、あべの→藤井寺。

大阪の地理が全然わからん関東者とかに言っておきますと、

JR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅は、JR田町と都営三田、または

JR浜松町と都営大門とか、小田急豪徳寺と東急山下みたい関係です。

藤井寺駅からの道はゴーグル・ストレート・ブーでバッチリ予習ずみ。

連れと2人して、栗橋選手入団時の70sなB字2色帽に赤肩ユニ姿で

スナック「しゃむすん」のドアを緊張しつつw開けると、カウンターの

中から栗橋さんが「いらっしゃい。ドームの帰りですか?」。

連れ「わかりますか?」。栗橋「そりゃ、野球観戦でもないのに

そんなカッコしてたらアタマおかしい人でしょ」。その一言で

“和製ヘラクレス”を前に緊張ぎみだった一見さん2名も一気に

リラックス。しかし15,6行前のイニシャル、全く意味ないやんw。

食べログのコメントで予習してきたとおり、メニューは無い。

なので日本の呑み屋ならどこにもある無難な飲み物ばかり注文。

1杯目を頼んだらカワキ物の盛合せが突出しのように添えられ、

2杯目を頼んだらポテサラ、3杯目を頼んだら鰤大根の小皿が

二死一塁フルカウントのオートマチック・スタートよろしく勝手に登場。

一人で切り盛りゆえの提供スタイル。もちろん日替りでしょう。

先客は男性1人、後客は女性ひとり客×2。全員が栗橋さんの店だと

承知で飲みに来てる野球ずきだとわかる会話内容。いいね。

店名の「しゃむすん」はアラビア語で太陽って意味らしいけど、

栗橋さんご本人にその由来を聞こう、聞こうとは思ってたのに、

当日すっかり忘却の彼方。しかし、東京から持参した1978年の

近鉄ファンブック(当時、畿日本道の名古屋線沿線に住んでた

高校生だった自分がナゴヤ球場での近鉄主催公式戦の際に購入)

にはしっかりサインをいただきました。↓

翌'79年から三色帽となる
この'78年までの数年間、
野球帽は紺赤2色にBの字でしたが、
ヘルメットは同色ながらB字の代わりに
赤い猛牛マークだったのです。


昭和末~平成初期の近鉄4番DHブライアントの近況

といっても去年の様子↓
https://www.youtube.com/watch?v=edKoax1e75A

↑3'59"でナレーターが「4打席連続ホームラン」と言ってるのは

野球のスコアについて疎いのがバレバレな放送作家氏のミスで、

途中に1四球(敬遠)を含む5打席での4発につき、

正確には4打数連続ホームランというのがデータ的には正解。

にしても、仰木監督に今も感謝し、いまだ近鉄愛に溢れる

ブライアントに1近鉄ファンとしては、ただただ感謝。