電車、バス、タクシー、物流、百貨店、ラグビーその他ありますが、
15年前まで存在したプロ野球チームですよ。その近鉄バファローズの
昭和最終シーズン(1988年)といえば、あの10.19川崎劇場ですよ。
近鉄が残り2試合を全勝すれば西武ライオンズに対して
逆転優勝となる、対ロッテオリオンズ戦ダブルヘッダー@川崎球場
ですよ。普段は閑古鳥が鳴いていたロッテの本拠・川崎が
この日ばかりは立ち見も出る超満員。当時の近鉄を率いたのは、
この数年のちに変則投げの野茂や、変則打ちのイチローを潰さずに
大成させた名監督としても、酒好きで女好きとしても名高いw
故・仰木彬さん(オオギアキラ。現役時代は西鉄ライオンズの6番セカンド。
監督としては近鉄で1度、オリックスで2度優勝(うち日本一1度))ですよ。
第1試合は、この年限りで引退を決めていた梨田の代打タイムリー
などで勝利。続く第2試合には吹石徳一(女優・吹石一恵の父)や
真喜志らの一発で一時はリードするも、エース阿波野の連投みのらず、
当時の規定による時間切れ引き分けとなり、半歩およばずの2位。
そして翌年のパリーグ平成元年シーズン(1989年)も近鉄は終盤に
西武とデッドヒートを展開。西武が残り2試合で1つ勝てば優勝
ということで迎えた、西武近鉄ダブルヘッダー@西武球場。
西武球団は優勝祝賀会&ビールかけの準備万端を整えていた
にもかかわらず、それらを全て台無しにしてくれた男が
近鉄4番DHラルフ・ブライアントですよ。ダブルヘッダーの両試合に
またがる4打数連続ホームラン(途中1敬遠)で、既にV気分だった
レオ軍団を木端微塵に粉砕し、猛牛軍団が連勝して逆大手。
残り試合(最終戦)のダイエーホークス戦にもあっさり勝って近鉄は
前年の雪辱を見事に晴らす大逆転優勝劇を演じたのでした。
その勢いで臨んだ平成元年の日本シリーズは、読売G相手に3連勝
の後、4連敗で敗退。勝っても負けても劇的なのが猛牛軍団ですよ。
そして時代は令和元年。先週末おこなわれた近鉄3連戦(オリックスによる
近鉄復刻ユニ試合)@大阪ドームの相手は西武。ワタクシの観戦試合は
先発・鈴木啓示ならぬK-鈴木の粘投により近鉄が見事勝利。
試合終了後には球団歌「近鉄バファローズの歌」と
応援歌「炎えろ!近鉄バファローズ」の両曲が続けてフルコーラスで
ドーム内に響き渡り、阪急Braves~オリックスBlueWave以来の
オリックスBuffaloesファンの生暖か~い視線を感じつつw
往年の近鉄Buffaloesファン全員でシンガロン!
♪...飛ばせ雲までボールよ届け~
♪...大阪城の空高く、聞け百万の歓呼沸く~
この日の試合後には、ハルカスふもとの阿部野橋駅から
近鉄南大阪線に乗って往年の近鉄本拠地・藤井寺へ。
藤井寺球場跡地(現・私立高校)に建つ球場記念碑↓
この記念碑はモノのついでに見ただけでして、お目当ては
元近鉄のK選手(昭和50年代の5番レフト。通算本塁打215本)が
オーナーでマスターのスナックS。
一度は行ってみようと、在阪の牛友と以前から話題にはしてた店。
地理的なことと営業時間的にドームからならデーゲームの帰りに
2軒目としていくのがベスト。なので大正駅から環状線に乗って
天王寺で降り、安呑み屋に1軒寄ってから、あべの→藤井寺。
大阪の地理が全然わからん関東者とかに言っておきますと、
JR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅は、JR田町と都営三田、または
JR浜松町と都営大門とか、小田急豪徳寺と東急山下みたい関係です。
藤井寺駅からの道はゴーグル・ストレート・ブーでバッチリ予習ずみ。
連れと2人して、栗橋選手入団時の70sなB字2色帽に赤肩ユニ姿で
スナック「しゃむすん」のドアを緊張しつつw開けると、カウンターの
中から栗橋さんが「いらっしゃい。ドームの帰りですか?」。
連れ「わかりますか?」。栗橋「そりゃ、野球観戦でもないのに
そんなカッコしてたらアタマおかしい人でしょ」。その一言で
“和製ヘラクレス”を前に緊張ぎみだった一見さん2名も一気に
リラックス。しかし15,6行前のイニシャル、全く意味ないやんw。
食べログのコメントで予習してきたとおり、メニューは無い。
なので日本の呑み屋ならどこにもある無難な飲み物ばかり注文。
1杯目を頼んだらカワキ物の盛合せが突出しのように添えられ、
2杯目を頼んだらポテサラ、3杯目を頼んだら鰤大根の小皿が
二死一塁フルカウントのオートマチック・スタートよろしく勝手に登場。
一人で切り盛りゆえの提供スタイル。もちろん日替りでしょう。
先客は男性1人、後客は女性ひとり客×2。全員が栗橋さんの店だと
承知で飲みに来てる野球ずきだとわかる会話内容。いいね。
店名の「しゃむすん」はアラビア語で太陽って意味らしいけど、
栗橋さんご本人にその由来を聞こう、聞こうとは思ってたのに、
当日すっかり忘却の彼方。しかし、東京から持参した1978年の
近鉄ファンブック(当時、近畿日本鉄道の名古屋線沿線に住んでた
高校生だった自分がナゴヤ球場での近鉄主催公式戦の際に購入)
にはしっかりサインをいただきました。↓
翌'79年から三色帽となる この'78年までの数年間、 野球帽は紺赤2色にBの字でしたが、 ヘルメットは同色ながらB字の代わりに 赤い猛牛マークだったのです。 |
※昭和末~平成初期の近鉄4番DHブライアントの近況
といっても去年の様子↓
https://www.youtube.com/watch?v=edKoax1e75A
↑3'59"でナレーターが「4打席連続ホームラン」と言ってるのは
野球のスコアについて疎いのがバレバレな放送作家氏のミスで、
途中に1四球(敬遠)を含む5打席での4発につき、
正確には4打数連続ホームランというのがデータ的には正解。
にしても、仰木監督に今も感謝し、いまだ近鉄愛に溢れる
ブライアントに1近鉄ファンとしては、ただただ感謝。