日露戦争 Russo-Japanese Warにおける
日本海海戦 Battle of Tsushima
(27-28th May 1905/Meiji38)の
圧倒的な大勝利を記念しての「海軍記念日」でしたが、
大東亜戦争敗戦直後にGHQによって廃止させられ現在に至ってます。
日露戦争における陸軍の奉天会戦の勝利(同年3月10日。※註1)に続く
海軍の、この日本海海戦の大勝利により、日本は勝者の立場で
ロシアとの講和に臨めたのです。満洲から朝鮮~日本までを
侵略支配しようと企図していた凶国ロシアの思惑は、明治日本の
国民一丸となった総力戦によって頓挫したのです。ロスケざまぁ。
東洋の小国が、非白人国家が、白人国家の超大国ロシアを
打ち負かしたという、このニュースは白人の植民地支配に苦しむ
アジア・アフリカ等の諸民族ならびにトルコやイランといった
ロシアの脅威に常にさらされていたアジア諸国民、および
フィンランド、バルト3国、ポーランドといった既にロシア支配下
の欧州諸国民にも希望の光を与える事になったのです。
外交的に日本は日英同盟を結んでいたことが、日本海海戦の
大勝利には大きく影響してます。バルト海の軍港リバウ(現ラトビア)
を本拠とするロシアの欧州艦隊主力(通称バルチック艦隊)は、
日本軍に包囲された旅順港(満洲)のロシア艦隊救援のため遠路、
北欧バルト海から、地中海~スエズ運河経由と、スエズを通れない
大型艦を中心とした喜望峰(アフリカ南端)まわりの2艦隊に分かれ、
インド洋で合流して極東をめざすわけですが、途中で石炭・水・食糧の
補給をすべき主要港の大半は、ケープタウンもインド諸港もコロンボも
シンガポールも香港も、すべて当時は大英帝国領なわけで、
日英同盟の立場から英国はロシア軍には非協力的で、バルチック艦隊
は完全な補給を受けられず、さらに北国ロシアの水兵は熱帯アジアで
発病者続出のうえ、旅順ロシア艦隊全滅の報が伝わり士気もダダ下がり。
ウラジオストク港(日本海に面した極東ロシア)の残存ロシア艦隊と
合流すべく、バルチック艦隊の目的地は旅順からウラジオに変更。
長旅でフラフラな状態でバルチック艦隊は対馬海峡から日本海に侵入
(宮古島の「久松五勇士」の話は以前に当blogでも紹介してるので
今回は省略。知らん人はヒサマツゴユウシぐぐってね)。
そこで満を持して待ち構えていたのが東郷平八郎提督率いる
帝国海軍連合艦隊ですよ。参謀秋山真之の立案したT字戦法
(縦列で直進してくる敵艦隊をTの字の縦線とすると、
その進路を遮るようにTの字の横線の如く接近。
縦列の敵艦は艦の前方の砲しか発射できないが、
敵艦隊に対して真横を向いてる日本艦隊は、艦の前後の主砲全てと
敵側舷側の副砲全てで射撃が可能。その火力差で敵を圧倒し、
さらに別動隊に後方からも挟撃させて殲滅する作戦)と、
日頃の射撃訓練の賜物で、日本連合艦隊はロシア・バルチック艦隊を
ほぼ全滅させるという戦史に残る大勝利をおさめたのです(※註2)。
Z旗 皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ |
明治の日本海軍は、そのお手本を英国海軍とし、海軍の艦内食として
毎週金曜に週1で食べることで、洋上生活での曜日感覚喪失を防ぐという
目的も実はあったという「カレーライス」も、英国式カレーを日本海軍が
マネて導入したわけで、その英国風の海軍カレーが、一般日本国民にも
洋食の1つとして拡散・定着したんです。しかしカレーの本場といえば
英国が植民地にしてたインドですよ。英国からのインド独立運動の
指導者・ネールも、アジア人の日本軍が白人のロシア軍を破った事に
大いに勇気づけられたと語ってます。日本海海戦で日・英・印の3国が
そんな風に繋がるわけですよ。自称D級グルメ(このDは本日に限り
弩級戦艦の弩級でDとさせていただきますw)のワタクシ的に
本日の海軍記念日に紹介したいものといえば、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の
海軍カレーもいいですが、現代の海上自衛隊各艦艇のカレーをレトルトに
再現した「横須賀海自カレー」8個入りComplete Boxがコチラ↓
3月10日は陸軍記念日でした。昭和19年に米軍が占領したサイパン島ら
マリアナ諸島を基地とする、カーチス・ルメイ将軍麾下の米空軍
B29爆撃隊は、明けて陸軍記念日となる昭和20年3月10日未明を
あえて狙い、その祝日を帝都で祝うことを不可能にして
日本国民の戦意を大いに挫く意図をもって、東京の一般民間人の
大量殺戮を目的とし、軍事施設もない東京下町の住宅街を焼夷弾で
焼き払い、一夜で10万人もの東京都民を焼き殺したのです。
この東京大空襲は広島・長崎への原爆投下同様、米国による完全な
戦争犯罪です。カーチス・ルメイはこの後も終戦まで、爆撃機B29
による日本各地への無差別攻撃を命じ、総計50万人とも60万人とも
いわれる日本の民間人が、その空襲で死亡したのです
(海軍記念日も意識して狙われたようで、その2日前と前日の
昭和20年5月25~26日にも東京に大規模空襲があり犠牲者多数)。
非武装民間人殺害はハーグ協定違反です。米空軍は故意に日本の
一般市民の大量殺戮を繰り返したにもかかわらず、戦勝国の米国軍人は
誰一人として、戦争犯罪人として裁かれていない、という事実を
日米の両国民は事実としてハッキリ認識すべきです。
これにより現在の同盟関係を否定しようとするものではありません。
過去は過去、今は今です。歴史的事実を認識してほしいだけです。
ちなみに民間人大虐殺の永久戦犯、米空軍カーチス・ルメイ将軍は
「もし米国が戦争に負けてたら自分は確実に戦犯として裁かれてる」と
戦争犯罪を犯した自覚はあった模様。この確信犯カーチス・ルメイは、
戦後日本の航空自衛隊創設に多大な貢献があったとのことで後に
叙勲されてますが、普通は式典で天皇陛下が叙勲者本人に直接
授ける勲章だったにもかかわらず、昭和天皇は「あの者にだけは
授けたくない」とそれを拒否。昭和天皇もカーチス・ルメイが日本の
無辜の民を大虐殺した張本人であることを御存じだったのです。
戦争反対は当然です。が、反戦目的で武装を放棄してしまっては
侵略を誘発するだけです。日本警察を非武装にしたら強盗・強姦・殺人の
凶悪犯罪が急増したことは終戦直後に、しっかり記録で残ってます
(その際の犯人の大半が「三国人」だったことも記録に残ってます)。
同様に日本国全体を非武装にしたりしたら、周辺の反日チンピラ国
(その筆頭が終身独裁者となった習キンピラが君臨する中華共産帝国)
に強盗・強姦・殺人行為を働かれる、すなわち侵略されるのは明白です。
侵略されることを事前に防ぐには、近隣反日害国(中朝韓)の軍備を
上回る軍備を日本が常に有することが一番確実なのです。
ちょっとでも先に日本に手を出したら、逆にボコボコにやり返されて
負けるとわかってれば日本に手は出せません。それが戦争抑止ですよ。
中共北京政府は本気で、じりじりと尖閣→沖縄→日本全土を
占領支配する長期計画をたて、日米両軍の様子を覗ってるんです。
沖縄の同盟国軍基地の諸工事に毎度いちいち反対してる政治屋
(玉きんダニ、福島みみずポ、有田芳腐、山本太漏ら)は
中共北京政府による日本占領計画の完全な協力者ですよ。
次の選挙で、そういう反日親中の売国奴に投票しないように。
先島諸島(八重山群島&宮古群島)各島への自衛隊配備や、
山口県と秋田県へのイージスアショア配備に反対してる連中は、
実は戦争好き(中朝韓露に日本を攻撃させたがってる者)または
売国サヨク、反日害人、DUPES、亡国ドM、キチガイのどれかです。
※註2:日本海海戦での日本側の喪失艦は小型の水雷艇3隻のみで
戦死者は117名。一方のロシア側は全艦38隻中、沈没21隻、
被拿捕(降伏)6隻で、戦死者は4830名、降伏捕虜6106名。
昨年の海自による日本海海戦洋上慰霊祭の模様↓
https://www.youtube.com/watch?v=BvL12bcwDUs
↑準国歌「海ゆかば」(5'10"~)、慰霊祭で耳にすると
目から汗が出てしまいます。ワタクシは心身ともに
完全な日本国民で、皇国の一臣民ですからね。すめらぎ弥栄