2019/06/02

Tamba & Tango

まいど、不肖ダビス・Kyōka & Senryū好きとして、

先週の米国トランプ大統領、国賓来日を祝して一句。

『時は今 アメが親しく、殺気かな』

ノーガキ:最近アメリカと我が国は親密すぎて

国内の亡国勢力(売国サヨク&反日害人)と特亜3害国(中朝韓)が

敵意とネタミ・ソネミ・ヒガミで殺気だってるなー、というウタ。

勿論『時は今 あめが下しる 五月(サツキ)かな』のパロです。勿論その

隠された意味は『土岐氏が今、天下をしる 五月ですよ』(※註)な、

本日6月2日といえば、戦国最大ミステリーとも云われる大事件

「本能寺の変」勃発日ですよ。といっても日本独自の旧暦の日付で

天正10年6月2日だったわけで、その日を今の新暦に置き換えると

西暦1582年6月21日だったんですけどね。

実は先月、京セラD大阪~藤井寺某店に行った際(当ブログ5/23投稿

に詳細)、酒を飲むのでmy軽ワゴンは大阪市内のPに停めッパで、

その翌日~翌々日には阪神高速→名神→京都縦貫道等を利用して

丹波と丹後にmy人生初侵入を試みたのでした。

当投稿タイトルのTamba&Tangoってのを見て、ラテン音楽系の

話題かな?なんて思った人(京都府民には皆無だと思いますがね)、

ヒノモト60余州の旧國名くらい、今からでも遅くはありませんから

日本人のオトナなら(日本生まれで永住予定の親日外国人もね)

ザックリ全部おぼえましょうね。たとえば今の京都府なら、

京都市や宇治市がある南部が山城國(ヤマシロノクニ。古くは山代,山背と

書いた。略称は山州/サンシュウまたは城州/ジョウシュウ)、亀岡市や福知山市の

ある京都府中部(&兵庫県と大阪府のゴク一部を含む)は丹波國

(タンバノクニ。略称は丹州/タンシュウ)、日本海側の舞鶴市や宮津市のある

京都府北部が丹後國(タンゴノクニ。略称は丹州)なわけです。が、

イタリック体の部分はザックリしてないw細かい話なのでスルーして、

とりあえず京都府は南から山城・丹波・丹後の3國、とだけ覚えれば

最初はそれでOKですよ。そんな感じで全国47都道府県の旧國名くらい

覚えてしまいませう。日本の歴史小説を読んだり、日本史モノの

ドラマ~映画を見るのが好きな人には、旧國名を全部把握してるだけで

色んな距離感や方角が具体的にわかって内容をよりリアルに深く

理解できるようになるし、旅行好きの人にとっては鉄道の駅名

(他地方の同名駅と区別するために旧國名を冠してる駅名が多い)

を聞いただけで何県の駅かがわかったり、

JRの路線名とかは旧國名の略称の合体名が多いので、例えば

「予讃線」なら予州(伊予國/愛媛県)と讃州(讃岐國/香川県)を結ぶ

線路として予讃線なわけで、その名称をチラ見しただけで

四国の西~北側を通ってる線路だな、と一瞬で理解できるわけです。

といっても日ノ本全六十余州の旧國名を覚える前に、47都道府県の

位置関係が全部わかってなきゃハナシになりませんがね。w

ガキの頃から歴児だったワタクシなんて小5の頃には旧國名は

ほぼ全部おぼえてましたよ。そもそもガキの頃から戦国時代や

幕末維新のイクサ話が好きで(当時の同級生がウルトラマン系や

仮面ライダー系が好きだったのと同次元・同レベルで、敵と戦う

軍記・戦史が好きなガキだったわけですw)、必然的に自発的に

社会科教材の日本地図帳の巻末の方に掲載されてた旧国名図を、

社会の授業中に、その授業内容に関係なく眺めてるうちに

全部覚えてしまったんです。おかげで中学高校の日本の地理なんて

試験勉強なんか全くしなかったのに、テストでまぁまぁな点は

取れてましたね。というのも実は各県の旧國名さえ知ってれば

答えがわかってしまう問題ってのが毎度結構ありましたからね。

山地・平野・半島・湾の名前とか特産品の名称にはナニゲに旧國名が

ついてたりするのが多いんでね。何にせよ、歴史オタクじゃなくても、

鉄道/バスにしろクルマ/バイクにしろ、国内旅行が好きな人なら、

旧國名は覚えといて損することはありませんよ。

伝統工芸品や名物の名称にも旧國名が使われてるのは多いし、

各地の色んな物事が理解しやすくなるし、覚え易くもなるわけ。

で、丹波・丹後のどこに行ってきたかというと、

丹波は本日6/2「本能寺の変」の主役で

来年令和2年のNHK大河「麒麟がくる」の主役、

惟任 日向守(コレトウ ヒュウガノカミ)こと明智十兵衛 光秀ゆかりの地です。

昨年は光秀ゆかりの地の近江坂本(現滋賀県大津市の北西部)を

訪ねてきたので、今年は丹波亀山(現京都府亀岡市)と丹波福知山

(現京都府福知山市)を訪ねてみました。来年、大河が始まったら

水色桔梗の旗指物が林立してそうな両市にフライング潜入です。

※註:美濃國(岐阜県南部)出の明智家は美濃源氏・土岐(トキ)氏の支流。

光秀が丹波攻略の拠点として
天正6年から築いた亀山城の、
外堀外周。現・南郷公園(亀岡市)。

堀の対岸の本丸跡を背景に
建つ光秀像、なんと今年5/3の
亀岡光秀まつり当日に
建立の除幕式を終えたばかりの
出来たて。来年のNHK大河に
あわせての設置GJ。
光秀像の左右は以前からある、
亀山城天守の鯱瓦複製一対。
ゴーグルストレートブーを見ると
いま光秀像の建つ場所は
昨年まで花壇&照明塔でしたw
光秀関連品の展示も多い
亀岡市文化資料館のパンフ表紙の
余白にほぼジャストな
今は亡き亀山城天守デザインの

スタンプ押してみまスタ。


亀岡市ゆるキャラ
明智かめまる
光秀が築城した丹波亀山城は明治10年廃城となり、荒れた本丸を

大正8年、神道風の新興宗教「大本」(オオモト。通称はオオモト教だが

正式名称に教はつかない)の教祖が亀岡町(当時)より購入して

城跡に神殿を建設。昭和10年、大本を危険宗教とみなした日本政府は

治安維持法を発動、約1000名を拘束。翌年、政府は大本の施設を

全て破壊して大本を解体。跡地は亀岡町が購入。大本元信者による

分派的?な宗教団体には「生長の家」「世界救世教」等がある。

亀山城址の大本跡地は戦後すぐまた大本の元幹部が亀岡町から

買い戻し、やがて復活した大本の本拠地として現在に至る模様。


福知山市の光秀パンフ。
右下の写真は福知山城の
天守最上階からの景観。
光秀が天正7年、丹波平定時に
横山城を改築して近世天守を建て
福知山城と改名。明治6年廃城令で
解体。昭和61年天守再建。
明智領わずか3年の間に、
治水工事と商業への免税で
福知山城下が繁栄。今も市民から
光秀は敬愛される存在。
福知山城天守石垣に見られる
野面積み(のづらづみ)に

多く見られる廃寺等からの
転用石と見られる加工石
福知山城本丸東の楼門
および福知山市ゆるキャラ
光秀くんとひろこさん
丹波と丹後の地ビール
L:「丹波の黒豆」発泡酒(黄桜)
R:「メルツェン」(丹後王国)
道の駅で購入してPの車内で
飲んで、そのまま車中泊

丹後で訪れたのは天橋立(アマノハシダテ)、傘松公園、

元伊勢籠(モトイセコノ)神社とその奥宮の眞名井(マナイ)神社です。

運転中のBGM(カーステ)は Alfred Hause楽団ですw

ってイミフな人は勝手におぐぐりくださいwww

ミリオタかつ自衛隊応援人として舞鶴にも行こうと思ったのですが

土日祝のみ開放の艦&館があり、平日だったのでまたの機会に。

奥州の松島、芸州の宮島と共に
日本三景と称される丹州の天橋立
「昇龍観」(股のぞき発祥の地、
傘松公園側から股のぞきした天橋立。
対岸のビューランド側から

股のぞきした景色は「飛龍観」)

傘松公園にある「冠島沓島遥拝所」。
遥か20数キロ先の若狭湾に浮かぶ両島
(鳥居左脚水平線の右左)は島自体が
元伊勢籠神社の奥宮だとのこと。

天橋立すぐ近くのこの籠神社
(カゴ神社と書いてコノ神社と読みます)
奥宮の眞名井神社の由緒(後述)により、
元伊勢籠神社とも呼ばれます。


(元伊勢)籠神社から約400m、
山に入った所に鎮座いたしますのが
籠神社の奥宮である眞名井(マナイ)神社。

天照大神が伊勢の内宮に、
豊受大神が伊勢の外宮に
遷られる以前は、こちらで御一緒に
祀られていたのです。
それで「元伊勢宮」とも呼ばれるのです。
御朱印蒐集を始めて丁度半年、
二十四社からいただきました。
※明智光秀関連当ブログ過去投稿
昨年5/13 「2年遅い&2年早い」
https://dabis-k.blogspot.com/2018/05/22.html

↑超長文の前半は大坂の真田信繁(幸村)ゆかりの地の話題。

後半で近江坂本の明智光秀ゆかりの地の話題です。