パンクな月刊音楽誌“
ドール”といえば、その編集部~本社は高円寺の
「中通り商店街」のウラ道の、ウラぶれた古マンション(失礼)の一角に
ありました。懐かしく思い、いま
ゴーグル・スト
レート・
ブーで見ようと
したら未撮影路地らしく未up。てか、よく見たら手前にクルマは
通行止めの標識。そういえばそうでした。ワタクシがDOLL編集部を
訪れる際には、通常チャリだったんです。自宅からドアtoドアで
電車を利用すると23~28分。チャリなら20分。車なら15~30分で
駐禁の取り締まり方改変前なら高円寺北口ロータリーに停車して徒歩
というイリーガル経路w。DOLL事務所前の路地はイッツウにしとけば
通れそうなんだけど、その路地に入る曲がりカドが難所ぽかったかも。
高円寺で、ではありませんがワタクシ、ゴーグルストレートブーの
撮影車を目撃したことがあります。たしか青い5ドア的な小型車
(たぶん本体はトヨタ JPN TAXI で、その改造車って感じ)で、
ルーフ上の中央に四ツ目?的な、見るからに四方同時撮影可ぽい巨大な
カメラがデ~ンと鎮座してる異様な車でした。ボディにデカデカと
ゴーグル.comとか書いてあるので、すぐわかりました。
そのゴーグル車wが、通行止めに気付かず進入してコーナーで立ち往生
してる姿が空撮され、ゴーグルmapの3D画像にしっかり写ってる姿を
妄想したら、なんか笑えます。なんてハナシはどうでもいいですね。
高円寺のそんな路地裏に事務所のあったSUPER ROCK MAGAZINE
(
※註1)
『DOLL
』が休刊して(
初代森脇氏の方針を受け継いだ
相川代表も3年前にお亡くなりになられ、廃業と書いてしまっても
問題ないとは思いますが、どこかの元祖ラスチック楽団も解散ではなく、
改燦ギグ後に超期休業中とのことなのでw、DOLL誌もここはあくまで
休刊ってことで)丸10年たちました。最終号となる
2009年8月号(通巻264号)の発売日が平成21年7月1日ですよ。
といっても流通の都合からか書店の棚にはよく、発売日の数日前から
並んでた記憶。しかし平積みの山積みで売られてたことなどは、
一部のパンク系レコード店を除くと、一般書店では一度も見たこと
ありませんね。逆にそのような大衆誌wならワタクシ的には
購読意欲も起きず、手にすることもなかったでせう。取り扱い店自体、
本屋3軒に1軒くらいしか置いてなかった記憶。ワタクシにとって
「良い本屋」とはDOLL取り扱い書店のことで、「悪い本屋」とはDOLLを
置いてない書店の事でしたからねw。
※註1:
2006年1月号(通巻227号)からのサブタイトルは
SUPER ROCK MAGAZINE ですが、それ以前は長期に渡り
SUPER HEAD MAGAZINE でした。今あらためて227号の
編集後記(by塚本編集長)を読み返しても、その件については何も
触れてませんね。ドール社内で喧々諤々の議論を重ねたうえでの
変更だったのか、逆に相川さんあたりの一言でスンナリあっけなく
替えられたのか、その辺りの子細は全くわかりませんが、
表紙を飾るアーティストの髪型がモヒカン/トロージャンだったり、
雲丹頭や弩サイコ刈りとかで副題がSUPER HEAD MAGAZINEでは
理美容系本~ヘアスタイル誌だとカンチガイされかねないから、
という理由でのマイナーチェンジだったら、何か笑えますがね。
DOLLって雑誌はそもそも、昭和50年代中期に季刊パンク誌
『ZOO
』
としてスタートし、たしか十数冊目から
『DOLL
』に改名して隔月刊と
なった記憶。少し違ってたら失礼。なんせワタクシがその存在を
知ったのは1983年頃で、すでに隔月刊のDOLLでしたからね。
その数年前からワタクシは、当時はロンドンNewWave好き御用達の
サブカル誌だった月刊
『宝島
』を購読してましたが、パンク系に
特化したバンド情報誌としてのDOLLは隔月の発売が楽しみでしたね。
前後して月刊
『Fool's Mate
』も読むようになりました。
1980年代のフールズメイトは、暗いRock(ネオサイケ等)~
暗いPunk(ポジパン等)~暗いNewWave(インダストリアル等)中心の
暗~い変態チックな音楽誌でしたね。まだインターネッつなど普及して
おらず、携帯電話すら誰も持ってない80s当時の紙媒体の影響力は
絶大でした。80s当時のLondonを中心とした欧州の
NewWaveMusic全般(
シンセ多用かつダンサブルな
Electric Pop系又はPost-Punkなギターバンドが
New Waveの中心でしたが、80s前半は当時の新Skaも
当時の新Rockabillyも広義ではNew Wave扱いでした)
が好きな20代だったワタクシの、80s当時の情報源といえば
『宝島
』『DOLL
』『Fool's Mate
』の3誌でしたね。
1980年代の宝島は、まぁNewWave誌でしたが、1990年代に入ると
何ネライか良くわからないwミーハー誌?に路線転向したので
ワタクシは急に読むのをやめました。ほぼ同時にフールズメイトも、
救いようのない暗さwと身内ヨイショ臭wに徐々に嫌気がさし、
90s初期には読むのをやめてました。後年、フールズメイトを書店で
みかけたら、いわゆる「ビジュアル系」に特化してて笑いましたがね。
そんな中、DOLLは80sのうちに隔月刊から毎月の発刊となり
90sに入ると、Punk/HardCore/Oiという従来のワクから
Billy系やSka系といった元・広義NewWaveな範囲まで
公然とカバーする音楽誌にヒトカワむけて?w、
ワタクシ的には、というより東京スカンクス的には丁度よく、
ラスちック・ストむプ的にも極めて好都合なw 音楽誌となり、
DOLLにネタを提供させていただく機会も増え、
1998(平成10)年12月(通巻136)号からは『混浴!ラスティック音泉』
なる見開き2ページの連載コーナーをワタクシ不肖ダビすけ(当時)
が担当させていただくこととなりました。その『ラス音泉』の連載は
19回続き、2000(平成12)年7月(通巻155)号からはタイトルを
『漫遊!ラスティック響和国』と改めてページをリニューアルし、
DOLLラスト・イシューとなる2009年8月号まで、110回連載させて
いただきました(
「写真用上質ページ見開き連載」は2003年6月号まで
で、同年7月号以降は「並質の1ページ連載」です。これは自ら降格wを
申し入れ了承されたんです。実は東京スカンクスが活動を停止し、
毎月用意できるネタ数も少し減ってしまったからです)。
2000年7月号での「音泉」から「響和国」への改称は、ド世紀末な
20世紀ファイナル年の下半期スタート記念、という事にしてますが、
特に深い意味はなく、19回というキリの悪い所での改題なんて
普通しないんで、そこであえて変えてみたんです。なんにせよ、
1998年の「ラス音泉」開始から2009年の「ラス響和国」終了まで
通算129回、今にして思えば我ながら、丸10年&9ヶ月もよく連載を
続けれたもんです。てか、連載させていただいた編集部の塚本氏と
佐藤氏にこの場を借りて改めて御礼もうしあげます。
と同時に読者の皆さん、イタズラ
FAX、批判メールをワザワザ送って
くれた方々も含め、真に有難う御在ました。って、もう完全にシメの
雰囲気ですが、まだ終わりませんよ。1998年から2009年というと、
入稿方法も自分的には4段階で変化していきましたね。最初はまだ
20世紀でしたからね。普通は原稿用紙に手書き肉筆の原稿からスタート
したとも思われそうですが、80sの頃からフライヤー作りのために
ワード
プロセッサーを使ってたワタクシは、90sのうちはDOLLの
原稿もワープロで打って印字した感熱紙wと、写真掲載してもらう
レコジャケの現物(
毎月、専属カメラマンがLP等のジャケ写を
全ページ分まとめて一気に事務所内で撮影してた時代なんです)と、
アーチスト
生写真の現物と共に、高円寺のDOLL編集部に毎月、自分で
持参してたんです。で、校正はFAXでやりとりしてました。80s~90s
はバンドのライヴ出演依頼も、約半数はFAXで来てた時代なんです。
で、今となっては笑い種のY2K問題wを回避して、遅ればせながら
2000年になってすぐ、WinのPCを自室に導入したワタクシは原稿を
Wordで書き始め、それをフロッピー・ディスク(
選挙があるたびに
立候補することで有名だった、あの発明家・ドクター中松氏が開発した
データ保存ディスク)に落として、レコジャケや生アー写と共に、
それをDOLL編集部に持参するようになりました。その5年ほど後に
PCを買い替えてからは、CDジャケや7インチEPジャケは生アー写
ともどもスキャナーでPCに取り込み、12インチ/LPジャケは自分の
デジカメで自宅で撮影してPCに取り込み、原稿と共にそれらの
画像すべてをCDRに焼いて、そのCDR1枚だけをDOLL編集部に
持ち込むようになりました。たぶん2005年くらいのことです。
その後1~2年で今度は、CDRにもう焼くこともせず、
原稿も画像もすべて電子メールで送信することにしました。
つまりこの時(2006年か2007年)、それまで7~8年は続いた
高円寺の路地裏の、とある古マンションへの「月1詣で」も
終了したのでした。こちらは全部メールで送ってるわけですが、
DOLL編集部から送られてくるゲラは、あいかわらずFAXだったような
気がします。そのFAXを見てのゲラ校はメールで行い、
「□月号漫ラス響・△△コーナー本文の右段、上から7行目、
誤:✖✖(文字化け) → 正:〇〇
以上、宜しくお願いします」なんてメールを2009年の6月半ば
まで毎月、DOLL編集部に送信してたワケです。最後の1~2年は
DOLLからのゲラもeメールで送られてきたような気も
してきました。その頃の記憶がなぜかボンヤリしてます。
10年ちょい前の話なのにハッキリ覚えてないだけでなく、
アラシスのワタクシ的には、ほんの2,3年前の事のようにも感じる
と同時に、30年くらい前の遠い過去の事だったような気もします。
今アラフォーあたりの皆さん、酒ばっか呑んでるとw
20年も後にはホント、時系列の認識も怪しい後期中年wに
なっちゃいますからね、注意しませう。いまU30てか平成生まれの
皆さんは、ワープロだのFAXだの、フロッピーとか感熱紙とかの
過去ツール、すべて正しくイメージして頂けましたでせうか。
って「何それ?」で全然OKです。後期中年の、ただの昔話です。
この際なので10年前のDOLL最終号のP93をアゲときます。
いま西荻(東京杉並)で中世Tavern風な英国式Pub「古矢」wを営む
大
将と女将の当時のバンドのセルフ紹介がメイン記事です。さらに
最下段ではワタクシが、いま読んでも中々なことwを書いてますよ
(スマホのかたスマソ。視力が良くないと読めんかもね。
PCで200%に拡大を推奨)↓
|
DOLL 2009年8月号 P93
(平成21年7月1日発売)
この頃はトイソックスで「だびすケ?」を自称してたのに
DOLLでの筆名はスカンクス以来あいかわらず
「ダビすけ」のままでした |
ついでに前述のSUPER HEAD Mag.からSUPER ROCK Mag.に副題が
マイナーチェンジした号の漫ラス・下段「感交案内」の拙筆、
いま自分で読んでも興味深いですw↓
|
DOLL 2006年1月号 P65
(平成17年12月1日発売) |
【最近の他人様upツベ推奨動画】
※武田邦彦中部大学教授
・コレステロールのウソ
https://www.youtube.com/watch?v=xom1s9uHrUg
アタシャ利権団体「自民党」全体の支持者なんかじゃありませんし、
神社参拝を禁止してる創禍愕会の公冥党なんか大嫌いですよ。
なので自公連立政権を熱烈支持など全くしておりませんが、
日本の平和を守るためには自衛隊は不可欠で、
その自衛隊が臨機応変・自由闊達に“効率よく”国民の生命と財産を
守る事ができるようにするための憲法改正を考える安倍政権を
是々非々(
消費増税には反対。実質的移民大量受け入れにも反対。
種子法改悪にも反対。アイヌ新法にも反対。女性宮家創設案にも反対)
ながら支持してます。
70年以上も憲法を改正してない国など、聞いたことがありません。
米仏独伊どこも何度も改憲してます。なのに改憲論議すら拒絶してる
左巻野党は全員ホント基地外か、反日3害国の手先の犬野郎です
(
中朝韓の3害国は日本に何をしようが自国が自衛隊に攻撃される心配が
全く無いので、日本には今の憲法のままでいてほしいのです)。
ワタクシは自民党全体を支持した事など人生でホント一度もありません
が、現時点では元・次世代の党で現・自民党の国会議員(山田宏氏、
和田政宗氏、杉田水脈氏)を全面的に支持してます。あっ、中野正志氏
(日本のこころ の国会議員最後の1人。昨秋、自民に移籍・復党) は今月の
参院の任期切れと同時に政界引退だそうで、次世代~日ころ の最後の
党首、「日ころ大魔王」wとしての御活躍おつかれさまでした。万歳!
つい最近、自民党内の派閥を超えた国会議員有志約30名によって
結成された「日本の尊厳と国益を護る会」(略称「まもる会」。虎8月曜の
青山繁晴氏が代表で、元杉並区長の山田宏氏が幹事長。杉田水脈氏と
和田政宗氏ももちろん参加)も当然支持しますよ。日ころ は消えた
と見えて、どっこい自民の腹ん中でカタチを変えて成長してんです。
3年前の青山・山田の両氏参院当選直後にワタクシは当ブログで
「両氏の面識の有無すら知らないけど(無かった模様w)、今後は両氏で
協力して自民党を内部から愛国政党に変えて欲しい」旨を書いてます。
それに向かって大きく前進ですよ。7/21投票の参院選、愛国者なら
2枚目の投票用紙(比例)には和田政宗(わだ まさむね)と書きませう。
元・民狩党~民辛党の連中(今の立件民狩・国罠民狩その他)と
共惨党・社罠党は、売国サヨクと反日害人だらけで、
そいつらの主張をすべて実現させると日本は確実に中共シナに
占領されて滅びます。そいつらこそが平和と自由の敵なのです。
レイワ辛賤組・山本太牢は最近、経済のことしか語らず、反日サヨク的な
言動はワザと封印してるのがミエミエです。明らかに無党派層の、
普段は投票にも行かない若者や既存政党に辟易してる者を取り込もうと
してますね。ダマされちゃダメですよ。山本太狼は日米安保に大反対
(つまり日本を今よりさらに中朝露の軍事的脅威にさらしたい基地外)
で、極東平和の拠点である沖縄の米軍基地工事にも悉く反対し続け、
沖縄の狂犬と呼ばれた反基地サヨクの暴力活動家・山城博治
(暴行傷害・器物破損・業務妨害等前科多数で逮捕ずみ)を公然と
応援してきた男ですよ。山城の暴行動画のネット拡散後ですら
山本は山城を応援してたんですよ。山本は暴力肯定サヨクに決定。
極左テロリストの中核派が山本太聾を応援してるワケですよ。
さらに平和安保法制にも特定秘密保護法にもテロ等準備罪にも
猛反対してた山本は、国防センスがゼロの汚花畑デュープス、でなきゃ
反日親中の売国奴ですよ。数年前には「ちっぽけな無人島なんか
欲しがる国にくれてやればいい」などと発言をして、辺境の島ひとつ
失うと広大なEEZを失い、日本は漁場・水産資源を失うのみならず
莫大な海底資源も失うということに考えが及ばない大馬鹿野郎、
でないとしたら中共ポチだと自己紹介してたに等しいヤカラなんです。
日本占領支配を本気で計画してる軍事侵略国の中共シナ、
ウイグル人とチベット人を抹殺しようとしてる人権蹂躙国家の
中共シナを、山本が批判してるのを聞いたことがありません。
日本人最大880人を拉致した北朝鮮、核実験とミサイル発射と
日本への恫喝を繰り返してきた北朝鮮に対しても何ら一度も
批判したことがない山本が再選した暁には、今は封印してる
反日反米で親中朝韓な売国サヨク活動再開まちがいなしでしょ。
元俳優が怒って泣いての“渾身の演技”wにダマされないように。
すべて芝居ですよ。沖縄の狂犬とまで呼ばれた暴力サヨク犯罪者・
山城博治を逮捕直前まで山本太弄は応援してたという、その1点だけ
見ても、
親鮮組・山本太漏は完全にアウトで最低なヤカラです。